ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第14回・2016年度映画上映

第14回(2016年)上映作品

袴田巖 夢の間の世の中(119分)

 2014年3月27日「袴田事件再審決定!」
48年の拘禁生活から解き放たれた袴田巖さん、しかしその表情に喜びは見えない、突然の釈放に戸惑っているのか、それとも拘禁症による精神へのダメージによるものなのか・・・。
 その後私たちは、東京後楽園ホール、リング上で世界“名誉”チャンピオンのベルトをまき、ファイティングポーズをとる袴田巖さんにカメラを向けていた。その時の巖さんの眼光は、ボクサーだったころの鋭さをとりもどしているようにみえた、しかし…。
 「袴田事件は終わった、冤罪もない、死刑制度も廃止した・・・」そう語る巖さん。
拘禁による妄想は今も尚つづいている。一方で巖さんの気持ちが解きほぐされていると感じる時がある。ある時から将棋三昧の日々が続いた。私も、何度となく挑戦したが、73戦全敗。
そのたびに、ニヤッと笑顔をみせるようになった。親戚の赤ちゃんを抱いて、好々爺の表情。大好きなボクシングの話題になれば、半世紀前の記憶がよみがえり、試合の論評もする。
 「妄想の世界」を、日常という「現実の世界」がゆっくりと包み込んでいく。
   平凡であたり前のことが、本当は誰にとっても特別なことなのかもしれない。
 映画は、袴田巖さんの命の再生を見つめ、生きることの尊さを静かに問いかける。

金 聖雄 監督

1963年大阪府生まれ
大学卒業後、(株)リクルート勤務。その後自分で商売をはじめるが失敗。「何か?やりたい、出来るんだ」という想いを胸にくすぶらせながら、結局“愛する人”を追いかけて東京へ…。東京にて料理写真家の助手を経験後、助監督になる。1993年からフリーの演出家としてスタートPR映像やドキュメンタリー、テレビ番組など幅広く手がける。
主な作品は「花はんめ」「空想劇場」「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」など。

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金 聖雄 監督からのメッセージ

「こんな映画はウソなんだ!わしゃあんなによぼよぼじゃねえんだ!」
 公開を前にようやく巖さんに映画を観てもらった。“試写室”となったのは映画の舞台でもある秀子さんと巖さんのお宅。上映開始時間は巖さん次第、というか、観てもらえるかどうかすら、定かではなかった。近ごろ日課になっている“パトロール”を終えて、帰宅したタイミングを見計らい、「巖さんが主役の映画を上映します」と声をかけて、なんとか始まった。
「袴田事件なんてうそなんだ、冤罪はもう無い!」と言い続けてきた巖さんが事件を説明するシーンを黙って観てくれるのだろうか、途中で席をたつのではあるまいか。不安でいっぱいだったが、最後まで喰い入るように観てくれた。
 秀子さんとのやりとりやボクシングのシーンでは、巖さんのうちわがピタッと止まる。映画のなかのうちわと手に持ったうちわがシンクロしたり、現実の柱時計の時を刻む音が映画のシーンと交差したり、なんだか不思議な試写会になった。
 上映後、恐る恐る感想を聞いてみた。すると「こんな映画はうそなんだ!わしゃあんなによぼよぼじゃねえんだ!」と、厳しい言葉が返ってきた。今も自分は23歳だと言い切る巖さんにとって、79歳の自分の姿はそう簡単に受け入れられないのかもしれない。でもその表情は柔らかく、喜んでくれているようにさえ思えた。その様子を見て秀子さんはこう言った「あれは半分わかっているよ。(笑)」
 夢の間、そして今の世の中の間を彷徨っているような巖さん。確定死刑囚という現実、そして失われた48年というあまりにも長い時間の後、今、ゆっくりと「自由を」たぐり寄せようとしているのかもしれない。  巖さんと秀子さんと一緒に映画を観た時間は、私にとって、とても幸せなひと時だった。
 巖さんにお願いして書いてもらった「夢の間の世の中」というタイトルは、獄中で書いた知人宛の手紙にある言葉で、「つかの間の人生、やりたいことをやらぬは愚かなこと」との意味らしい。
巖さんの存在自体が放つ強烈なメッセージを、しっかりと受け止め、一人ひとりに映画を届けること。それが私にとっての「夢の間の世の中」と思っている。

舞台挨拶(金 聖雄 監督)

(映画を観て、みなさんが)結構、不思議なところもいろいろあったんかなぁなんて、思いながら。 袴田さんと秀子さん(お姉さん)は何で離れたところで、ご飯食べてんだろうなとか。どうもあそこのうちの家具は喫茶店みたいだなとかですね。
いろんな疑問を持ちながら観た人もいるんじゃないかなって思ったりしています。実はこの映画の前に、前作この阿倍野でも上映していただいたんですけども、狭山事件!埼玉で起こった女子高生殺人事件、狭山事件っていう裁判をテーマの映画を(「SAYAMA 見えない手錠をはずすまで」)作りまして、その時は、夫婦の物語として作ったんですけども。
まさか、こんなに冤罪をテーマにした映画と関わるとか思ってもみなかったんですけどね。ちょうど、石川一雄さんという方が今も無実を訴えて53年になるんですけども。
彼は、東京の高裁前で、いつも今もずっとアピールを続けているんですけども。その場所に僕が撮影に行っていた時に、袴田巌さんの再審が始まったと。その日に釈放されるという知らせを聞いて改めて、前からお姉さんの秀子さんは知ってたんですけど。ちゃんと挨拶したことがなくてですね。
改めて、ご挨拶を「おめでとうございます。」っていったらですね。
まあ、それまで実は秀子さん、ほとんどなんか、心の底から笑うっていうような笑顔見たことはなかったんですけど。当り前ですけど、満面の笑顔ですね。
わあ、なんて素敵な笑顔だって。僕いつもなんか映画を撮り始める時は、だいたいお婆ちゃんが多いんですけど。秀子さんにもキュンとしてしまってですね。
ああ、この人も本当に、とても僕達の想像では、計り知ることが出来ない時間を生きて来たんだな思うとですね、目がキュッとしてですね。
なのに、あんなに素敵な笑顔を見せてくれるんですね。なんか素敵な人なんだろうなって思った一方ですね、テレビで袴田巌さんが釈放されて、出てきた姿を見るとですね。まったく表情がないっていうか、一体どこを見て、何を考えているのか、全くこれ読めないような。
本当ならば48年間、獄にいて出てきたわけですから、見るもの全て、喜びを感じたり、感激するんじゃないかなって思ったんですけど。そんなある意味、絶望的な姿も目の当たりにして、2人がこの後、報道ではいろんなに騒がれますけども、どんな日々をこう生きていくのかなっていう気持ちが、強くあって撮影を始めることにしました。

最初のうちは、ほとんど、半年ぐらいは袴田さんの表情は変わらないで。
本当に一日、多い時は7時間、8時間、10時間くらいですね。
家の中を、映画の中でもあったように、ずっと歩き続けて、後はご飯を食べるだけっていうような日々が続きました。
果たして、これ映画になるんだろうか?という思いと、袴田さんに表情が戻ってくるんだろうかっていう不安な思いで撮影を続けました。
初めて僕が、袴田さんの笑ったのを見たのは、というか感じたのはですね。釈放されて、その年の12月くらいからですかね。
将棋を始めたんですよ。映画の中でもありましたけど。「弱い奴に持っていかれるか」って言いながらもですね、将棋を始めて、最初2回ぐらいだったと思うんですけど、僕が何となく勝ちそうになったんですよね。そうすると袴田さんの顔が段々、紅潮してきて、「あれ!?これひょっとして勝っちゃ不味いかな」って思ったんですよね(笑) 袴田さんにとって、これ負けるっていうことは、いろんな大きい意味を持つんじゃないかなって思っていたら、あれよあれよとですね、逆転されてですね。詰まれて負けちゃったわけですけども。
そのときにですね、今考えても悔しいなって思うくらいですね。
ニヤ?と笑ってですね。笑顔を見せて。そこらへんから、巌さんとは少しずつコミュニケーション取れていったということを思い出します。
ただ僕は将棋、あんまり強くないんですけど。73回やって、73回連敗と(笑)
言ってみれば全敗で。ただジャンケンは連勝なんですよね。袴田さん、なぜか必ず最初パーしか出さないんですよね。するとジャンケンは勝って、「なんか勝ってないな」っていいながらですね、将棋を教えてもらったり、いろんなことで少しずつ距離をつめていったりだとか。
ただ、そのままどんどん袴田さんの、彼が作り出した世界、今度は現実の世界に戻ってくるかなって思ってたんですけど、なかなか戻ってこない。今も戻って来ないままです。
実は、映画の中で1人で買い物に出かけるシーンがありましたけども、ゴールデンウィーク期間だったんですけども、その頃からピタッと将棋を止めてしまって。ずっと勝負していませんでした。こないだ久しぶりにですね。1年3ヶ月ぶりに、将棋を再開してですね。もう一人、映画の中にいた桜井さんという方と一緒に行ったんですけども。なんか顔見たら、将棋の事を思い出したのか、自分で盤を取りに行ってですね。一緒にやり始めて、74戦目が実現して、あっさりと負けてしまったんですけどね。今はそんな日々を、袴田さん、すこしずつ送っています。彼自身、毎日、死刑執行ということに怯えながら、生きる日々を送ってですね。どんな思いだったのかなと、なかなか僕は想像できないですけども。きっと彼は自分が生きていくためにですね。自分の世界を作り出していった。
一番立ち行かなかった、自分が一番苦しめられた権力を、自分の手で作り出してですね、そこの権力者になって、冤罪を無くし、死刑制度を無くし、なんとか生きるんだって思います。
だからあんまり、映画の中でその事件のこと、刑のことだとか、描いていませんが。彼の今の状況を見ていると、もちろんそのことは思わざるを得ないっていうその側面と、もう一つは、じゃあ絶望だけかっていうと、僕は袴田さんが日々、何でもない日常、アンパンを食べて、自由に散歩して、温かい風呂に入って、布団で眠るっていう日々を、少しずつ取り戻していく。撮影をしている中で、確実に彼の表情は戻っていく。
ある意味死んでいた、殺されていた毎日が再生していくような現場に立ち会うことをとても嬉しく思っています。今の彼の状況次第は、まだ死刑囚のままです。あれだけ明らかな判決が出たんですけども、まだ死刑囚のままです。
でも彼は、浜松は世界の中心だって仰っいて。今は浜松の街を一日4、5時間をずっとパトロール、仕事をしている日々です。浜松に行くとですね、あの袴田巌さんを目撃できたりとかもしますんで。ぜひ浜松に行ったときは、探してもらえると嬉しいなと思います。短い中で、お姉さんのことはあまりしゃべれなかったでしたけど、お姉さん、すごいとこはですね、あんなに寄り添ってきたんですけどね、恨みつらみ一切言いません。
健気な姉って言われるのが一番嫌いなんですよね。お姉さんのすごいところは、「私は巌のためだけに生きてきた。」とね。「巌のことも含めて、自分の人生を生きてきたんだ。」とね、はっきりと仰います。素晴らしいと思います。
どんな風にみなさん、受け止められたか、是非、このあとも会場にいますので、声をかけてくださればと思います。
最後、宣伝になりますけども、いろんなさっきの疑問点がですね、パンフレットの中に詰まっております。あの目玉はですね、秀子さんの秀子体操という、健康の秘訣がありますけども。83歳です。手にとっていただけると嬉しいなと思います。だんだん通信販売みたいになってきましたけども、これは手ぬぐいもつくりましたので。ちょっと暑いですね。
今日は本当にありがとうございました。

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