ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第14回・2016年度映画上映

第14回(2016年)上映作品

えんとこ 再訪(22分)

 1999年に製作された映画『えんとこ』の主人公・遠藤滋を、15年ぶりに旧友の伊勢真一監督がカメラと共に再訪するドキュメンタリー。
脳性麻痺に加えて老化が進み、口から食べることが困難になりながらも寝たきりの自立生活を続ける遠藤滋。「ありのままの命にカンパイ!」障がいをかかえながら、たくましく暮らす姿を追った、15年前の映像をまじえて描いた短編映像である。
映画『えんとこ』の続編であり「3.11」をベッドの上で正面から受けとめた遠藤のメッセージが熱く語られる。関西では初上映である。


伊勢 真一 監督

1949年東京生まれ
大学卒業後、いくつかの職業を経験した後、映像の世界に入る。父は記録映画編集者として活躍した故・伊勢長之助。
ドキュメンタリー映像作家として長年に渡り、精力的な活動を展開。テレビから映画まで、ヒューマンドキュメンタリーを中心にさまざまな人の日常を、温かい眼差しでほのぼのと映し出す作風で知られる。

※リンク切れになる場合がございます

伊勢 真一 監督からのメッセージ

 「えんとこ」製作から15年。学生時代の友人・遠藤滋に逢いに行き撮影してみようと思いたったのは、15年前同様に遠藤の現在を、生きる姿を見届けてみたいと考えたからだ。脳性麻痺に加えて老化が進んだ遠藤を見つめることは、ある意味で自分自身の今を見つめ直すことでもあるに違いないと考えたからだ。
ベッドの上で体験した3.11東日本大震災。身動き出来ない状況で震災を受けとめ、原発事故を巡って考え続けてきた遠藤は、3.11の体験を和歌に託して記録し、語り伝えようとしていた。動けないままにカラダで受けとめた体験は、決して忘れることが出来ないものだったと言う。東日本大震災から5年、すさまじい早さで風化が進む私達の社会の震災と原発事故の体験を、遠藤は、今も深めようとしている。
「ありのままの命にカンパイ!」映画「えんとこ」で、どんな状況下でも決してあきらめず、生きることの肯定感を力一杯歌い上げ、多くの人々を励ました遠藤は、健在だった。口から食べることが困難になりながらも、その試練を笑い飛ばし寝たきりの自立生活を続ける遠藤の生きる力は、多くの人を励まし続けるに違いない。私は遠藤の励ましに答えるためにも、ドキュメンタリーを、自分なりのヒューマンドキュメンタリーを創り続けようと思った。

舞台挨拶(伊勢 真一 監督)

「えんとこ」作ったころは、いろんな若い人達が三交代で出入りするっていう。
(介護を)勉強してる人とか、資格を身に付けた人っていうことではなくって、もう本当に無免許運転って言ってましたけど。免許のある人はほとんどいないっていうような感じで、「えんとこ」の時代はやってこられたりしたんですが。
その後、ご存知の方もいらっしゃると思うんだけど、制度やシステムもかなり変わって、やっぱり免許や資格のある方がちゃんとやるっていうことになったのと、遠藤自体の体の状態が専門的な知識や、その教育を受けた方にやってもらった方が安全であるってことで。でも、雰囲気自体はもうまったく変わっていない、なんか本当に居場所って言ってましたけども。本当に居場所みたいな感じで、昔「えんとこ」の介助してた人が同席してたりとか、とってもいい場に、今もなってるようです。
一週間前ぐらいにまた行ってきたんですが、この映像を撮った時よりも元気でした。
仲間内、学生時代の友達の間では、遠藤が一番長生きするんじゃないかって。その「えんとこ」撮ってた時に時々、本当に冗談にして出たんだけども。むしろ本当に今自分の周りで病気になったり、亡くなったりしてしまうっていうようなことがどんどん増えていって。
まあ、それぐらい毎日毎日、体のことをしっかり考えながら、遠藤が生きているってことだと思うんですけども。映像を撮ってた時よりも、さらに元気になってたんで。ちょっと、まあ安心もして。今度、阿倍野で「えんとこ再訪」見せるからって話をしました。
やっぱり、僕ももちろんそうだけど人並みにというか、年並に白髪も増えるし腹も出るしいろんな老いがやっぱり、お互いに出てるんで。そういうのが写されるのはちょっと恥ずかしいって言うんじゃないかなって思ってたんだけど。全然そのへんがあいつのとてもいいところで堂々としてましたね。
「えんとこ」訪ねた時に書いてある文章がちょっとあるんで、それ読んでおしまいにしたいと思います。
「自分で自分を褒めてやりたいぐらいだよなと私が言ったら、遠藤は暫く黙って、いや、褒めてやりたいというよりまだまだやり残してることがあると俺は思う。
そのやり残していることを、いくつかに絞って、やりきらなきゃ。と大きな強い目でじっと天井を睨みつけた。遠藤は学生時代から哲学者のようだった。
身を持って生き様を晒す哲学者。遠藤は健在だった。16年程前、映画「えんとこ」の中で、まだまだ諦めない。自分がやってきたことを次の世代に、次の時代に繋ぐまでは、と積み上げたことと、変わらぬ言葉をしっかり口にした。遠藤は少しもぶれていない。短歌を嗜むようになった遠藤の近作が書かれていた。
老いらくの 恋の身悶え 気の利ける 軽き一言 言えず過ぎて 遠藤滋、66歳。
ありのままの命に乾杯。
続きを撮って観てもらうことが出来たら、ぜひまた観に来てください。
どうもありがとうございました。

↑ PAGE TOP