ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第14回・2016年度映画上映

第14回(2016年)上映作品

ドキュメント・トーク「記憶と記録」
8月27日(土)17:15~

8月27日「"記憶"と生きる」を上映後、3人の映画監督が集まってドキュメント・トークを実施しました。
金 聖雄 監督「袴田巌 夢の間の世の中」
土井 敏邦 監督「“記憶”と生きる」
伊勢 真一 監督「えんとこ」

伊勢監督:(『“記憶”と生きる』は)三時間半でした?最近、(観たのは)三回目なんだけど、やっぱりとてもよかったね。少し短くしたのを作ったんですか?
土井監督:はい。
伊勢監督:今回、三時間半で、まあフルヴァージョンっていうか、観てもらおうと最初から思っていたんで。今日、上映出来てよかったなって。また観直してすごく思いました。土井さんからお話を。
土井監督:土井敏邦です。よろしくお願いいたします。私は映画監督というよりジャーナリストです。なぜジャーナリストというのにこだわりを持っているかというと。やはり私は昨日から、ここで上映される映画を観てて、ああ、すごいなと思うんですね。映画としての作品ってこういうものをいうんだって。 こういうことを言えば、一番伊勢さんから叱られるんだけども。
私は活字のジャーナリストなんですね。現場で起こっていることを伝える!
これがジャーナリストの役割だと思ってるんです。
私はかつて、いわゆるペンで、活字で伝えてきました。
いろんな理由があるんです。経済的な理由、つまり活字で生きていけなくなった。まあ、あと活字を書く場所が非常に少なくなった。
もう一つはね、映像の力に圧倒されたんですね。
私は映像を通して、活字でやっていたように事実を伝えたいっていうのが、私の映像に対する姿勢です。ですから、皆さん、気づかれたと思うんだけど、音楽、それからナレーション、一切私は使いません。映像の中で出てくる音楽は使いますが、基本的に音楽は使わない。それは、煽ぐということに僕は非常に抵抗がある。そしていろいろ説明しなくてもいい。説明しても伝わるようなものを撮っていく。
じっと見てる。ドキュメンタリーの枠は、活字を含めてです。
ドキュメンタリーというのは、もう僕は、最高の理想とする形は、観てる人、読む人を現場に連れていく。そうっと連れていく。
そして、そこで観てくれてる人、読んでくれてる人をまるで、自分が現場に立っているような状況に連れていく。これが僕は理想だと思う。
その時に伝え手は見えない方がいい。そこで感情を煽ったり、いろいろ説明をしない方がいい。すると、邪魔なんですよね。
だってね、現場には音楽もないし、ナレーションもないんですよね。
私が現場でこれだけ感動してるんだから、その現場へそうっと連れて行けば、絶対、観る人は何かを感じるという信仰みたいなものがあります。
だから、私の理想とするのは、なるべく手を加えない。
しかし、あきらかに選ぶ題材は私の主観です。これが伝え手の心だ、いうのは私にはあります。 それをなるべく、送り手である私の姿が見えない感じ。つまり僕は作り手、それから伝え手というのは黒子でなくちゃいけないって、ずっと思ってますね。自分が出てくるというのはよほどの理由がないといけない。 例えば今日の、「Start Line」。僕はね、あれはもう今村さんという、本当に体を張った作品に圧倒されました。
つまり自分を出す、ということはここくらいまでやらないと意味はないんだ。
今日の映画(『“記憶”と生きる』)はやっぱり、観ていると、もう何度も見てるんですけど、もうちょっと言葉を引き出せなかったのか。もっとやり方があったんじゃないのかって、いろいろあるんです。 でも20年前に撮影した映画で、ちょっとこれを撮り始めたのが、私があのビデオを回し始めて1年目です。1年目にこれくらい小さなハンディカム、それを回して、とにかく撮った。最初は物凄く嫌われました。日本人、男。
それはハルモニ達にとっては、本当に見たくない存在だったろうし、そこの中で彼女たちの中にどうやって入っていくか?
これがやっぱり勝負って思います。随分通いました。近くに下宿して朝から晩まで食事の材料運んで、一緒に飯食って、トイレ壊れたら一緒に直して。
そういうことをやっていくうちに、「こいつは悪い奴じゃなさそうだぞ」と。行くことが当り前になってる。私はそこまでなれたかわかんない、透明人間みたいになれ、なる!その時にカメラを回す。 だから、喧嘩のシーンがおそらくカメラに収められたんだろうなと思うんですよ。つまり、日本人だから、男だから撮れない、っていうことはない。
やっぱりジャーナリストで、取材する対象の近くに最大の、小手先でないような計算ですよ。僕はパレスチナでもそうですし、難民キャンプですね、住み込んだりする時も、一番大事なことは、私はあなたの事を伝えたいんだ、という事を、精一杯情熱を示すことと、誠実さ、謙虚さ。 とにかく僕はジャーナリストという仕事は文章が上手いとか、映像が上手いとかでなくて、その人の全人格の闘いだと思っています。それが勝負だ。
だから、映像が上手いって自慢する人がいるけど、だからなんなのって気がします。映像にはその撮ってる人が写るんですね。よく伊勢さんは仰るけど、自分の画をみていやらしいなっていう部分がある時に、自分の中にやっぱりなんか野心があるなという気がしてます。この場合はとにかく僕も裸になるしかなかった。
とにかく、私はあなた達の事を伝えたい。という情熱を精一杯示した。
実はこの時に、同時に韓国の女性の監督、ピョン・ヨンジュさんが、「ナヌムの家」っていう95年に山形映画祭で小川紳介賞取った映画、実はちょっと写ってます。彼女の映画にも僕が写っています。同時に撮っていたんです。
彼女は不思議なことに、僕はそのとき、どうしたんだろうと思った。
彼女はひたすら生活を撮る。僕はジャーナリストで、日本人で、日本人に伝えなくちゃいけないものがあって、それは彼女たちに何が起こって、どういうことになった、と伝えると言うのが僕の使命だと思ってました。だから、やり方が違ってたんだろうと思います。
彼女に言わせると、今の姿をじっと見れば、過去が見えてくるというような、彼女の意図だったと説明する人もいたけど。僕は邪推かもしれないけど、同国人で、同じ同性であることで撮れなかった、聞けなかったんじゃないかって勝手に思っています。そういう意味ではジャーナリストの僕が、しかも男性で、図々しく聞いた。でも、最後にこの七人は全員亡くなっていく。残ってるのはこういう証言なんですね。
ここで昨日からずっと観せてもらっている作品性の高い素晴らしい映画。皆さん、気づかれてると思うけど、私のとは全然ちがう。それは私にとって映像っていうのは、事実を伝える!そこの一点なんです。
ペンで伝えるのと同じものを映像で伝える、それが私のジャーナリストである私の役目です。ですから、作品として、つまらないと言われても仕方がない。 ただ、私が持ってきた作品は、この証言は永久に残っていく、彼女達が死んでも残っている。そういう仕事をやるのは私の仕事なのかと思っています。
伊勢監督:金君、どうでした?今日、観直して。
金監督:そうですね。今、1つ聴いて、以前に自主上映やっていただいた時もそういうのを仰ってて、ジャーナリストというのをね、強調して、自分の立場をしっかりと。自分の映像はそんなのはないよって仰るですけども。
今、聴いてですね。まあ僕は逆にいつも自分はジャーナリストじゃないという言い方をするんです。しゃべる時に。僕はどっちかっていうと、単なる映像の作り手で、決してジャーナリストではないですという言い方をするんですけども。何とも今、土井さんの話を聞いてるとですね。
僕はそんなに上手く言えないんですけども、なんかスタンスというか、どこを捉えるかというところは違うとは思うんですけども。
どう対象と向き合うかみたいなところは、何回か聴いて、あんまり変わんないんだなって気はとてもしました。今日は二回目観て、はっと思ったんです。
今日という訳ではないんですが、ちょうどこの8月18日が母親の、自分の母親、まあ僕の母親は、在日一世ですけど。非常にその母親の死んだ日を実は何日か忘れてるというですね。すごい罪の意識に駆られていたところにですね。
今日まさに、同じ母親が死んだ頃の、同じ世代のハルモニたちを見てて、なんかとても、彼女達が体験してきた事っていうのは本当にああやって証言と言葉で聞いたり、またその言葉からいろんなことを想像するしかないんですけども。

自分の母親と、どうもいろんなものが重なってですね。
複雑な思いになった。ある種の土井さんの、ハルモニ達の証言と言う形で残してあげようと、そこから感じ取られて、観る人によってさまざまあると思うんですけども。改めて共感したなって思いました。 それと、僕も2004年に「花はんめ」っていう川崎に住む自分の母親の世代を、一世のハルモニ達の映画を撮ったんですけど。
その時、僕は逆にいま思っても頑なにですね、ハルモニ達に苦労話、証言を聞かないでおこうって、ずっと現場に出たんです。
すごく頑なに、決してインタビューしないでおこうというのを1つの自分の決めごとにして現場にと行ってたんですね。
まあ、聞かなくても勝手にいろいろしゃべり始めるんですけども。
でも、それはそれでとてもよかったなって、自分では思ってるんですけども。今思えばなにか意地のようにして聞いてこなかったってことっていうのを、もう少し、やっぱ映画にするのかっていうのは別として、ちゃんと聞いておけばよかったなという思いが、今日の映像を観て、思いました。
伊勢監督:あっ、じゃあ1つだけ感想っていうか、井さんに。僕ね、今日観ててね。さっき、音楽とナレーションは使わない、頑なに使わないってやってきた(と言っていたけど)。土井さんの作品、結構好きで、何本も観てるんだけれども、観てるんだけれどもね。そう意識したことなかったかなあ、って思った。ナレーション使ってないとか、音楽を使ってないとか意識して今まで観てなかったということを、さっき話聞きながら思ったんですよね。
どういうことかっていうと、多分僕の中で、まあ音楽といえるかどうかわからないようなメロディーが浮かんだり、それから鼓動が浮かんだりっていうことを、今までの土井さんの映画を観ながら感づいていたと思うんだよね。
それで要は、特に今日の(作品を)観てても、サイレント。
普通はそこに音楽入れたり、あるいは何かノイズっていいますけど、サイレントを避けるために音をね、空気音を入れたり、あるいは効果を入れたりするようなシーンだとか。あるいは、例えば絵の部分だとかね。そういうところをナレーションでやったりだとか。何かそうしている方が、全くもちろん入ってないんだけど。入ってないんだけど。観ながらね、音が浮かんで来たりするんですよね。
だから、あんまり一般論的に言っちゃいけないかもしれないけど。
まあ言えば逆に音楽を使おうと、使うまいと、ナレーションを使おうと、使うまいと。ナレーションや音楽を使ったんだけど、その映画、映画の記憶として、言葉はあまり感じなかったとか、なんかこう自分の中に音楽を感じなかった、っていうような映画もけっこうありますね。
要は、ひとつのワンカットでもいいんだけど、ワンカットを観てるときに。
違う映像が頭の中に浮かんでくるっていう事があったり、言葉が浮かんでくるっていう事があったりするっていうのが、映像の持っている力だと思うんですよね。
僕も時々言うんだけども、墓参りと映画を観るって、とても似てると僕は思う。
持論ってわけじゃないんやけど。墓参り、けっこう好きなんですよね。
お墓の前にジーッと立つじゃないですか。そうすると、その度ごとに、そのお墓参りをしたときのその人の事をいろいろ思い浮かべる。誰でも何かいろんなことを思い浮かべて。あるいは言葉を思い浮かべる人もいるかもしれない。
映像的な事に置き換えると、そこに例えば今回の映画でも、こんなこと言ってたねってインタビューが挿入される。
やっぱり、多分、魅力のある映画ってのは、力のある映画ってのは、映像見せたりした時に観る人が、その1カットから、自分の絵を、あるいは言葉を思い浮かべていく。それが最終的に、観てる間は、バラバラだったりしてるんだけど。観終わってしばらく経ったり、あるいはどういう事だったんだろうって思ったりしているうちに、だんだん観てる人の中でそれが1つのこのイメージになっていくみたいなね。そういう感じが土井さんの映画にはあるんだよね。
あるんだと思う。それはジャーナリストであるってことで、ご自分で行って、作ってるわけだけど。それで、すごく僕は観ながら映像や言葉がすごく浮かぶから。土井さんの映画、観てるとね。 逆に、「自分は映像作家だ」って言ってる人の観て、あまり・・・感じもするし。じゃあ、自分がどうなのかっていうのも、含めてですけども。
だから、特に今日観てて、サイレントの時に、いろんなことを考えるね。
普通の場合でもサイレントのことでいろいろ考えるんだけど、サイレントというかそういう処理した時にね。サイレントの時に、あっ、そうだなあって思って、本当に自分の中で言葉や音楽が浮かんでくるような感じっていうのかな。そういう印象持ったから、観れたっていうか。そう思いますけどね。
土井監督:例えば、私の絵の出し方に対してね、いろんなやり方があると思うんですよ。ハルモニの言葉にあの絵をかぶせるという方法が1つ。
これは時間の節約にもなるし、もっと違った見え方がする。
ただ、あの絵というのは、こう見てくださいってなんか入れると、例えば、音楽を入れると、そこで悲しい音楽を入れると、そう導いていっちゃうんですね。でも、あの絵はいろんな見方があるんですよね。 それは、黙って見てくださいっていう僕の表現なんです。とにかく感じてください。それに私は干渉しません。音楽を入れたり、ナレーションをだぶらせることで、絵をこう見てくださいという方向付けはしない。ラストのエンディングロールなんかも、普通だったら、昨日、今日、(上映された映画を)拝見して、ものすごく感情が高まってきますよね。こういう作りもいいなと思うんだけど。
僕は、じっとみんなが死んだんだと思う、そのままの思いをね、サイレントの中で、じっと反芻してほしいんですよね。そこで音楽は必要ない、邪魔になると僕は思っています。
まあ成功してるかどうかは皆さんの判断なんですけど、僕のなるべく干渉しない。あなたはこう見てくださいっていう干渉はしない。
とにかく、私が出来ることは事実を突きつける。私が観てほしい事実を突きつける。それをどう受け止めるか皆さんですし、そこにナレーションをおいて、こう観てくださいって言い出したら、それは作品性あるかもしれないけれど、僕のジャーナリストとしての姿勢じゃないって思っています。
えっと、ごめんなさい。僕1つね、ここでちょっと、昨日ここにいらっしゃる松原さんの映画を拝見して、すごい感動したんですね。
被爆牛の(「被爆牛の生きる道」)今私自身が福島へ通ってて、すごい苦しいんです。何をどう伝えていけばいいのか!?
本当に苦しんでた時に、一冊の本に出合ったのは、チェルノブイリの、スヴェトラーナさん、去年のノーベル文学賞取った方です。
彼女がチェルノブイリから10年後に一冊の本を出した。
それはずっと証言なんです。言葉なんです。実はなぜこの言葉がこんなに心に届くんだろうということもね。

この前ね、僕がここに来たとき、池谷さん(池谷薫監督)がいたと思うんですよ。僕はでもまあジャーナリストであることに関係あること。今回言葉にかけてみようかって思ったんですよ。つまり昨日の「大地の花咲き」ですよね。
あれも、すごい言葉の力だと思ったんです。
それはなんであの人たちの言葉が響くのかというと、行動で裏づけられてるんですよね。その人の人生の美を。
でも「チェルノブイリの祈り」がなぜここまで、私の心を射抜いたかのか。10年後に書かれた本なんですよ。チェルノブイリって、いろいろ映画も見て来たし、写真も見て来たし、あったんだけど、これほど私が突き動かされた作品はない。何なんだろう、と思ったら言葉の力。言葉がどういう状況でみなさんの中で、証言というのね、表現を使って、ドキュメンタリーを作られると時に、みなさんがおそらく感じられる。そのところをですね、あの実は広河隆一さんがすごくいい言葉で表現してくれたんですよ。 広河さんがトップにしているのは消防士の奥さんですね。 消防士すぐ行ってものすごく被爆して、もうずっと身体、文字通り崩れていくんですよ。内臓が崩れていく。それをじっとそばから看護し続けている若い奥さんがいます。語らせるんです。実は広河隆一さんも同じ人をインタビューしてるんです。彼があとがきで書いてるのは、私は同じ人をインタビューしたのに、私のは単なるニーズの相手でしかない。なぜスヴェトラーナさんの言葉はこれほど人の心を動かすのかと彼が自問している。
それで彼が出した言葉は、「そこに人間の尊厳が描かれてる。」って。僕はねえ、今福島で今私が行き詰まってる。5年後の福島をどうドキュメントで描いていくのか。牛という素材を使って、その牛を透した人間の葛藤や、とああこういうやり方があったんだと、ハッとさせられました。だから私はちょっと違ったやり方なんだろな。とにかくスヴェトラーナさんがチェルノブイリでやった仕事を、私に出来るとは思わないけれど、ああいう仕事が今、福島で求められていると感じます。
つまり、言葉、証言という言葉をどれだけ、命を。どういう証言をとれば、あれほど人の心に届くのか。それは私のテーマだし、おそらく金さんもね。
皆さんが証言を撮る時に、どういう事で、どうやって言葉を引き出していくのか。むしろね、どうすれば人間の存在。例え、今の福島でもそうです。僕は子どもたちのほうで、やっぱり皆さん感じておられると思いますが、可哀想な人達じゃないっていう。ものすごい人間の輝きを皆さん、感じ取ってくれるのがあるでしょう。私達は「慰安婦」という言葉で、人間を非常にフラットに描く。
しかし、その人を一人の人間だったと。家族を持ち悩み、幸せになりたいと思った人、人間であったという事を我々は、人間の顔は見えている。
つまり、その人が持っていた人間の存在、尊厳が見えている。
我々が引き金となっていて、人間の存在をどうやって映像なり言葉で引き出していきたいと思いますね。伊勢さんも素晴らしい作品もあって、金さんもそうだけども。インタビュー撮られて。どうですか?証言を撮る時に、どういう言葉を引き出して、どうやって引き出して、心に届くか。
伊勢監督:(金監督に)どうぞ。
金監督:あっはは(笑)ずるいな。
そうですね。そう言われるとですね。僕の場合、いつもですね。土井さんのように迫ってくるような、証言を撮ることが使命だというのを持ってないので、なんか反省するんですけども。いつもふらっと行くだけって言う感じで。(笑)
とにかく、何かしら具体的な言葉っていうこともあるでしょうし、なにかポツッとなんかつぶやきだったりでも。ひたすら何か自分に出来る事は、そこに居よう。なんか邪魔にならないようにというか、楽しくって言っちゃあ、語弊があるんですけども。何か一緒に時間を過ごす、過ごせれば、まあそのなかでね。
じっと一緒にいるとですね、やっぱり時間がかかるんですけど、やっぱポツポツとなんか、何かを引き出そうと思わなくてもきっとその人が、ずっと時間を重ねてる中で、この人になら少しぐらい言ってもいいっていうよな、多分そんな感情が生まれてきて、もっと言えば語りたいとか多分いっぱいあるんだと思うんですね。
言葉を聞かない、インタビューしないでおこうって思って、ずっといたんですけども、行く度に、ある程度信頼関係が出来た時からですね、行く度に同じ話をハルモニがするんですよ。 何10回って同じ話を2人に聞くんですけども、それはそれぞれのハルモニ達が必ずひとつ、このことだけは勝手にしゃべるんですよ。
そのときに、やっぱり、このことは語っておきたい、もっと言えば残しておきたいって、自分で思ってるんだろうなってすごく感じましたね。
そのことにはちゃんと応えなければと思って。
最初は映画の中で一切こういわゆる過去の話、昔の話、入れないでおこうと思ってたんですけども。そうやってずっと繰り返し、言ってた言葉は、ちゃんと、話として残さないといけないなって、映画の中に組み込んでいった記憶があります。例えば今の、これからこの後上映のある、袴田巌さんいう死刑囚、48年間、獄に繋がれた無実の死刑囚の方なんですけども。 例えば、50年間、弟のことを支えてたお姉さんっていうのがいるんですけども、彼女は、恨み辛みって一切いわないんですよね。
彼女と接するときも、半年間くらい、何にも一切事件のことには触れないまま、兄弟ですか?みたいな話をずっとしてたっていう。(笑)まあ袴田事件て大きな事件なんで。普通に考えれば、事件のこと聞かなけりゃ話が始まらないと思うんですけど。
まあ、その中でやっぱり本当に話したいことっていうのは、なんかポツポツと語りだすような、そんな気はするかな。だから僕の場合はひたすらそれを待つっていうか。(笑)そんな感じですかね。
土井監督:伊勢さんの映画にも、私みたいに、強引に三脚立ててね、聞き出す。とにかく質問を浴びせて・・・あんまりそういうスタイルとられません?
伊勢監督:そうですね。
土井監督:それはやはり、ジャーナリストと映画監督、やっぱりそういうやり方に対する抵抗みたいなのはありますか?
伊勢監督:うーん、なんか言い方はあれなんだけど、普通の時間の中で、出てくる言葉。普通の時間の中で聞ける話。なんかそういう空気みたいなものが、逃げないようにしたいって思いますね。 だから、ここに座ってくださいっていってインタビューするってのはひとつの、 一般的にいうと、例えばテレビのインタビューから、だいたいそういうのが多いですよね。やっぱり座ってインタビューを受けますっていう時に、もちろんそうやって話を聴かなくてはいけないっていうときには僕もそれに続ける。
でも、そういう演出になっているわけじゃないですか。そういうシチュエーションに。自分の時間の中で、自分の言葉を発するって時も、そこですでに違うってなるわけじゃないですか。それが悪いって言ってんじゃないですよ。
そうして話が、話を引き出す必要があるときは、何としてでも。
そうやって聴こうってことはあると思うんだけど。
でも、できるだけその空気の中から出てくる言葉みたいなことはね、大事にしたい。正確に言うと、さっき土井さんが言っていたのは本当に言葉そのものっていう話と、映像の中の言葉っていうことがやっぱりあると思うんですよ。
そう分けてみたほうがいいのかなと。

例えば今日・・・僕、やっぱりいいなと思ったのは。二部の絵の彼女がだんだん黙るじゃないですか。話をしていた彼女がだんだん黙って。
黙ってる顔を執拗にじっと見て、その映像の中からさっき言ってたこととつながらなるんだけど、ものすごく言葉を描いている。
だからしゃべってるから、その人が何かを発しているっていうことではないっていう映像のことがあって。
昨日の「被爆牛の生きる道」の柴さん。
あの人も、もちろんそれを松原さんがそういう瞬間をちゃんと見てじっと捉えるてるっていうのはあって。黙ってる時のあの人のものすごくいろんな、黙ってる表情の中に顔の中に言葉を感じるっていうのかな。
やっぱりドキュメンタリーの中の言葉って、それこそヒューマンドキュメンタリーっていうように、この映画祭名付けてやっているわけだけど。
その人がどんな顔をしながら、どんな仕草をしながら、どんな語り口で、自分の言葉を発してるかってことが、ヒューマンドキュメンタリーの魅力だと思うし、ヒューマンドキュメンタリーの言葉だと思うんだよね。
それこそ、テレビのスタジオでアナウンサーだとか、コメンテーターの人が発する言葉とはやっぱり明らかに違うっていうものを僕らは撮りたいし。
僕らが撮りたいのはそういう、本当に、普通の人が息を吸いながら、その時々によって、もしかしたら昨日言ったことと違うことを言ってるじゃないってこともあるかもしれないけども。でも、そういうことも含めて、その場から出てくる言葉みたいなことがね。黙ってることも含め。だから、そんな言い方したらあれなんだけど、自分で撮影してるけどね。その撮影させてもらってる方が、黙ったりしてるの好きなんですよ。もうねえ、人の黙ってる顔見てるのがとても好きだってね(笑)だから黙ってると、ああいいなっと思いながらね。
このまましゃべらないでほしいなって、ずっと思ったりするんだけど。(笑)
でも、カメラがあって、マイクがあったりすると、やっぱりみんなしゃべらないといけないのかなって気を遣ってくれて、しゃべったりするわけだけど。でも、別にしゃべんないと映像の言葉にならないって僕は、考えてない。
ただ言葉そのものにはね、さっきチェルノブイリの話で言おうとしたことは、証言をね、きちんと、今のことを残していくってことをしないといけないと思う。というか、したいと思う。今日もひとつみんなから思ってた事はね。
NHKがずっとやってたの、映像の世紀って。もう今シリーズは終わったのかな?映像の世紀。なかなかすごく面白い番組もあって、10回くらいやったのかな?やっぱりまさしく、土井さんがやってることや、もちろん、金君がやってくることや、今回の映画祭でやっている、あの1つ1つの作品がね、映像の世紀をしっかり作ってるんだって僕は思いたいと思うんですよ。
もちろんTV局も、ずっと毎日いろんなものを撮影し、流してるわけだし、NHKもいろんな昔からのものまとめてるわけだから。
そんなものを一介の僕らみたいな、どこ馬の骨ともわからないって、こないだ誰かに言われたんだけども。あの取材を断られるときにNHK以外は駄目です。みたいなこと言われて。(笑)どこの馬の骨ともわからないからこそ記録出来るね。つまりNHKにも、他のテレビ局にも記録できないものがね、僕らに出来ることがあるんだって思うし、そうでありたい。
だからこのヒューマンドキュメンタリー映画祭をやっていくっていうことが、そんなもんわかんないですよ。10年、50年、100年経った時に、僕がそんな事言ってんのか、そんなもん全然残ってないじゃないかって。
でもそんなことは絶対ないと思うね。まだ、たかだか100年なんです。 映像が始まってね。記録の映像がちゃんと始まったっていえるのは、それこそ戦後からって言っていいぐらいですね。まあ戦前戦中もあるけれど。今の言葉の証言の言葉をちゃんとね、撮っておくっていう事が必要だっていうのも、すごく共感するし。とにかくやっぱり撮る事!撮れるようになったんだから。キャメラが、手に入って。今回の映像の世紀の最終回は、ホームビデオについてちゃんと触れてましたね。要するに、キャメラが特権的に誰かが持っているもの、テレビ局が持っているものじゃなくて、みんな一家に一台あって、誰にも回せて。今あれでしょ、電話のやつ、ね、あれ・・・。
土井監督:スマホ。
伊勢監督:そうそう。(笑)
さっきの回か、ちゃんともう、みんな撮ってたよね。
まさしく映像の世紀はそうやって、自分は見たぞっていうことを残していけるって。そんなことはなかったなんて絶対言わさないぞっていうことを、残していけるってことはね。言葉もそうやって僕達は、拾い集めて残していくっていうことをやろうと思えばできるってだと思うし。それを別にすごい使命感で、っていうことでないにしてもね。僕は映像が好きだから。映像が好きだから、映像を撮り続けたいっていうことの意味で。それが結果的に、今日の話では、そのやり方が違うっていうことが、それぞれあってかまわないと思うし、面白いと思うんですよ。だってみんなひとりひとり違うから。別に、キャメラとか撮影しますだけじゃなくって、みんなその違うようにして他の人と接しているということも・・・。(トーク終了のカンペを見て)あ、もうやめろって?(笑)どうぞ。
金監督:あははは。(笑)
そうですね。やっぱりさっきも「Start Line」の今村(彩子監督)さんが、僕がちょっと後ろの方にいたら、「これから私は何を撮ったらいいんだろうな」って話を二人でしてたんですけど。 やっぱり「それは僕もわかんないよ。」っていいながら。
それぞれ、理由もいろいろあるんだろうし、好きだっていうのもあるし。
伊勢監督:この後だからね、金君の(作品)をこのままぜひみんな観てもらって。
金監督:そうですね。
伊勢監督:そうすると『“記憶”と生きる』と今日の話と、金君の(作品)みたら、いろんなことをいっぱい考えるとね。
土井監督:ドキュメンタリーを作る事と自分が生きることと、どう接点を持つのか。その接点を今日、今村さんの作品に強烈に教えられた。
やっぱり生きることに一番か、彼女がドキュメンタリーを作ることで自分を蘇生している。あそこまで自分の弱さを、まああれだけ叱られて、普通出したくないですよね。 でも、それをあえて自分をさらけ出すあの勇気、それは彼女があのドキュメンタリーを作ることの中で、生きようとしたということだと思うんですね。
ドキュメンタリーを作ることが単に、例えばNHKのために作るとかじゃなくって、まさに自分の生き方と関わらせていく。
自分が生きるっていうことと、ドキュメンタリーを作るという事と、どういう事なんだという、生きることとドキュメンタリーという1つの手段としてね、やっぱ生きた軌跡を残していく手段としてドキュメンタリーという手法を取っていく。僕はやっぱり自分の生き方が反映されてないドキュメンタリーって人の心を打たないと思うんですよ。自分が高い所にいて「ほら観てください」って言ったって。やっぱ彼女の(作品で)なんでこんなに僕、泣いちゃったんですけど。なんでこんなに打つんだろうって思ったら。 彼女のさらけ出してるっていうか、生き様を描けているなあって。
こういう作品こそ、ドキュメンタリー観て、人が勇気をもらう、生きていく力をもらう。そういうものが作れたらいいなあっと思ってます。
伊勢監督:一番最初にこの映画祭、立ち上げるときにヒューマンドキュメンタリー映画祭ってしようって、僕が言ったんですけども。
そのヒューマンっていうと、なんか温かいとか、日本語的に思われることもあるんだけども。何回目か、5回目か6回目ぐらいの時に、鷲田さんって阪大で学長やってた、哲学の先生が来て教えてくれたんだけど。ヒューマンって元々の言語はね、「カオス」ってことなんだって。要するに、いろんなことが中でグシャグシャしてる、カオスの状態のことが原語のヒューマン。僕はそんなこと全然知らずに、ヒューマンドキュメンタリーって言ったんだけど。今村さんの作品にね、とってもこう打たれたって言ってたけど。
おそらく、土井さんの作品と今村さんの作品は、すごくスタイルからなにから似てるってわけないけれども、やっぱり両方とも打たれますよね。
間違いなく!この後の金君のきっと・・・
金監督:間違いなく打たれます!
伊勢監督:えへへ。(再度トーク終了のカンペを見て)もうやめろでしょ、そろそろ。(笑)
金監督:はい、終わります。僕の上映が出来なくなるんで。(笑)
伊勢監督:もっと話したいんだけど、今日はこれぐらいで。
どうもありがとうございました。

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