ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第14回・2016年度映画上映

第14回(2016年)上映作品

天王寺おばあちゃんゾウ 春子 最後の夏(99分)

国内2番目の高齢アジアゾウ・春子は、1950年、タイから大阪の天王寺動物園にやって来ました。
まだ戦争の“爪あと”が残る中、当時2歳だった春子は一躍、人気者となり、以来、64年間、大阪の人々に愛され続けました。しかし、2013年、夏は炎天下の運動場に出るのを嫌がり始め、冬には、あることが原因で春子の食事を抜く事態が起きるなど、人気の陰で飼育員にとって初めての事態が相次ぎました。
そして、2014年、春から夏へと季節が変わる中、春子に大きな変化が起きます。
老いと闘いながら、最後の最後までお客さんの前に立ち続けた春子。天国へ旅立つ時までカメラはまわり続けました。

第52回ギャラクシー賞 奨励賞
第56回 科学技術映像祭
自然・くらし部門 優秀賞
第12回 世界自然・野生生物映像祭 日本野生生物賞

人見 剛史 監督

大阪府生まれ
テレビ大阪報道部 記者・プロデューサー。 広島ホームテレビ報道部に在籍時、1995年~98年までテレビ朝日ニューヨーク支局に特派員として勤務。2001年からテレビ東京報道局、2011年からテレビ大阪に在籍。

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人見 剛史 監督からのメッセージ

2014年7月30日、春子はお尻を柵につけ、立っているのがやっとの状態でした。
しかし、それでも、「お客さんの前にいることが私の仕事」と思っているかのように春子は立ち続けていました。本当に最後の最後まで…。
そして、ついに訪れた、その時。 長年、春子を支えてきた飼育員は、強烈な“葛藤”に直面します。
飼育員としての責務と、春子の“意思”との狭間で…。私は、99分間の映像をご覧になり、色んなことを感じて頂きたいと思っています。
大阪の戦後、動物園の思い出、命の尊さ、さらに、あらゆる生命が迎える死。
そして、64年間、人々に愛され、懸命に生きたゾウが大阪にいたことを是非、たくさんの方に知って頂きたいと思います。

舞台挨拶(西村賢太飼育員)

まさか、春子の映像を貴重な形で記録していただいて。まさか、こんなに映画になるなんて、当時は想像もしませんでした。私自身もすごくびっくりしたんですけど。みなさん、この記録見て、映画としてご覧になって、どんな風に感じはりましたかね。
私、これ映画として、いいなと思った点の一つは、見る人によって、いろんな感じ方が出来ることだと思うんです。確かに感動しました、共感しました、そういったたくさんの意見も頂きました。その一方で、それと同じくらいの批判の意見もあったのも事実です。処置の仕方が悪いんちゃうのとか、象の扱い方が悪いんちゃうの、そもそもの象の飼い方があかんのちゃうの、もっと欧米の先進的な飼い方を取り入れてあげてたらよかったんちゃうの。そういったご指摘の声もたくさんいただきました。 私は全ての声が正解だと思っています。私自身、良かったのか悪かったのか、未だに結果が出ていません。見はった人の出した答え。それが答えなんだな。何も結論を押し付けてないところが、映画としてよかったんじゃないかと思っています。

みなさん、象の飼育係ってどんな印象、お持ちですかね。
この映画を見るまでは、象さんっておおらかでお人好しで、のんびりゆったりした、なんかそんな印象もお持ちだった方もいらっしゃるかもしれません。
でも実際ね、大抵の動物園でね、象の飼育担当言うたら、ほとんどの人が行きたがらないんです。何て言うんですかね。他の動物が悪いっていうわけじゃないんですけど、象って餌あげてよしよししてるだけで、人のこと好きになってくれるような、簡単な連中ではありません。もう知能が高すぎます。もう象の飼育員になるということは、私が今からみなさんのお宅へ行って、新しい家族にしてください、新しい息子にしてください、新しい彼氏にしてください、というのと同じくらい難しいことなんですね。
象というのは、相手の性格を見ます。辛抱強さ、忍耐強さ、あとね、器の大きさとか、考え方とか、そういったことで人を見ます。年数をかけて、信頼した人間のことだけ家族の一員として認めてもらえるんです。みなさんの経験のある、クラス替えみたいな感じで、担当動物変えってのが、実はあるんですね。でも象だけは、担当変えがありません。やはり象にとって、飼育員を変えるっていうのは、みなさんの大切な恋人とか家族を違う人に変えられるのと同じくらい大変なことなんです。
ですから、私らスクリーンの中で象に触ったり、部屋に入ったりだとかしてたんですけど、あれも当然最初からさしてもらえません。もういきなりあんなことしたら、確実に殺されます。実は動物園協会で、飼育員が象に襲われるっていう人身事故が一番多い動物なんです。戦後だけでも10人を超える方が象に殺されて亡くなっています。それは何でかっていうたら、やっぱりこっちの見立てだけで、象に接するとそうなるんです。特にね、うちの春子さんとか博子とかは、割と閉鎖的な飼い方されてきてるんで。俺の象に誰も触るな。自分以外は来るな。部外者来るな。そう言った育て方をされています。ですから、そんな象の部屋の中に入っていくということは、みなさんがお家でおトイレとかお風呂入ってる時に、私みたいに知らんおっさんが、いきなり戸開けて入っていくのと同じくらい大変なことなんです。
ですから、全てはやっぱり年数かけて象に認めてもらわないといけないんですけど。
まあ、もう春子には私、ホンマにいじめられました。
特に最初の2、3年はありとあらゆるいじめを受けました。そのイジメを通して、春子は人間の辛抱強さとか、本音とか、器の大きさとか、そういったことを確かめるんですね。
スクリーンの中で言ってましたけど、ここまで頑張ったから、そんなら線越えてええわ。お、部屋の中入れたろう。ちょっとくらい体触らしてやってもええわい、とか。象に認められることで、やっとああいうことさせてもらえるんです。
ですから、スクリーンの中で象にチェーンをつけたりとか、はよ出て行けーってね、ちょっと乱暴なことするシーンもありましたけど。ホンマに認められなかったらね、あれをさしてもらうことすらできません。もう象に認められてなかったらね、
もうあんなしていっただけでも、確実にしばかれます。
特にうちのね、象なんか、春子はプライドが高くて頑固やし、博子は気が短くて攻撃的やし。象っていう動物は世間で思われているほど、誰にでも無抵抗で怒られてくれるような、お人好しではないです。みんな“さしてもらってる”んですね。

例えばね、足にこうやってチェーンを付けるシーンがありましたよね。あれも僕が担当になって5年か6年してからようやく、さしてもらえたんですけど。
でも、チェーン括る時とか、外すときってね、ちゃんとチェーンが届く位置に前足ここですよって。僕らもやりはじめさせてくれるでしょ。最初はさしてくれるんです。ほんなら春子はよう分かってってね、ある程度慣れたらチェーンが届くか届けへんかギリギリのところに足を置くんです。さあ、お前どうする?もう出方はその時次第です。出方を間違ったら、もう絶対しばかれるんです。時によってはもう頼むわって頭下げなあかんこともあります。時によっては、おう、お前の本気、まだまだそんなもんかって。こっちの本気を試してくるときもあります。そういったようにいろんな駆け引きをしてきて、ホンマに村の小僧たちと知恵比べするおばあちゃんみたいなものです。ですから、ああやってね、はよ出て行けー!って怒ってるシーンもあるんですけども、あれは春子に“怒らしてもらってる”んです。ホンマに嫌や、ホンマに許さん、ホンマに嫌いやっていう象を、私たちは暴力とか力で支配することは出来ません。
もう、春子に胸を貸してもらってたんですね。
春子は、あの、こんなこと言っていいんかな。私達以外にも象の担当になりかけた人がおったんですけど、やっぱりそうやって精神的に追い詰めて、何人も飼育係潰してきました。そんな中でまあ何とか周りの方のフォローと、2頭の象のフォローで、私達、一緒になんとかやってこれたんですけども。春子にとっては私は不思議な存在やったと思います。
スクリーンの中で私と春子がね、なんか喋りながら、なんか押あったりとかしてるシーンがあったと思うんですけど。春子っていうのは、こいつはどういったら怖がるか、人間はどうやったら怖がるかというのをよく知っています。
例えば、新人の飼育係がいます。ベテランの飼育係がいます。その間に象を入れてはいけないっていうルールが大抵、象を飼っている園内ではあります。
なぜなら中の間に入った途端に、新人の飼育係が一瞬で殺されてたって事故が実際にあるんです。ですから、私達、ベテランと新人の間に象が入ってくるのを嫌がるっていうことをよく知っています。そういったことをしてね、いろいろ人の怖がる事をいっぱい知っているんです。そりゃもうね、長生きしてるおばあちゃんやから、私たちのもう比べ物にならないくらいたくさんの知恵袋を持ってます。でも、そんな春子にとって私、結構、不思議な存在やったと思います。
「わしがこんだけ怖がらせようと思って、怯えさせてるのに、なんでこのガキ共はわしにこんなに懐いてくるんや。べたべたくっいてくるし、わしの目とか耳とか尻尾とか引っ張って遊んどるし、なんでこいつらこんなに懐いてくるんやろ?」みたいな感じやったと思います。春子はね、我々に心の片隅にちょっとでも疑う心とか恐怖心があったら絶対、見抜きます。その恐怖心を必ず裸にします。見せかけの親切とか、うわべだけの笑顔、絶対に通じない相手でした。
でも、心底、自分のことを信頼する相手に対しては、それ以上の危害は加えられない性格なんでしょうね。スクリーンの中で僕、頭くわえられたりとか、頭の上に顎のっけられたりとか、してたことあったんですけど、春子にそれで安心して身を預けることで、ちょっと関係が変わりました。私は春子にとって、まあこいつはいじめても面白ないやつなんやってなったと思います。それからね、だいぶ関係が変わりました。

さて、最後にね、この密着取材が始まったときなんですけど。天王寺動物園っていうのは実は割とちょっと閉鎖的なところがあって、この春子の密着取材が始まるまでは、外部からの取材、バックヤード、裏方の取材っていうのを一切受け入れてこなかったんですよ。うちの動物園って、春子に密着取材するっていうのが、実は初めての裏方の撮影がオッケーなパターンやったんですね。
正直な話ね、私達ってテレビ局の人、嫌いです。何でかというたらね、大抵のテレビ局さんは、極力短い時間で撮影に来て、ほんで脚本とか台本用意してきはるんですね。脚本通りの画を撮りたがるし、我々に脚本通りのことをすぐしゃべらそうとしはるんです。そやから嫌いなんですけど。この記録を撮ってくださった(監督の)人見さんと、それからカメラマンの増田さんに関しては、全くそれがなかったんです。
最初からあんな場所に入れたわけじゃありません。そんなね、簡単な気持ちで誘いに来られて、春子があんな自然な姿を見せるわけがないんです。
最初はね。それこそ寝室の扉からカメラだけ出して、あるいはカメラだけ置いて、そういった感じでね。撮影を始めてから、三ヶ月ほど毎日のように通いつめました。あの人たちの態度を見て、そんで象達の態度見て、じゃあそのところまで来ていいよ、じゃあそのへんぐらいまできていいよ、じゃあこの辺ぐらいから撮りに来てくださいって。ちょっとずつ、ちょっとずつ、あのホンマにもう半年も一年もかけてね、ああいう画を撮ってこられるようになったんです。春子というのはね、やっぱり高飛車な人の心見抜いてしまうんですけども、あのお2人はとても謙虚な気持ちで、私たちのインタビューを撮る時もなんかこう言うてほしい、しゃべらそうとするんじゃなくて、今の私達の気持ちをありのままに聞いてくださいましたし、もうホンマにありのままの映像を、時間をかけて撮影してくださいました。 だから、あんな春子みたいな疑い深くて、もうプライドが高くて頑固なおばちゃんがあんな自然な姿を見せてくれたんだと思います。春子はね、プレスの方のカメラの前であんな自然な姿をね、見せることはまずないことなんです。
たまたまそうなったんか、それとも春子が選んだんかわからないんですけど、ああやってお2人がいらっしゃった時に、春子は倒れることになりました。私一つだけすごい意外やったんは、春子が私達の目の前に倒れたということです。象ってね、普通は人の前で死なない動物なんです。 大抵、人がおらん間に死にます。やっぱり象はね仲間同士にも、亡くなる姿を見せたがらない動物やとは聞いてましたし。古い話なんですけど、上野動物園のインディラっていうお婆ちゃん象が亡くなった時は、カメラでずっと撮ってたんですけど亡くなる瞬間だけはカメラが壊れて映像が撮れなかったそうです。それぐらいね、象っていうのは、人に亡くなる姿を見せたがらない。ましてや、春子みたいに頑固でプライドの高いお婆ちゃんは、絶対私たちのいない間に逝くだろうと思ってました。 私ああやって春子の側でバタバタしながら、仕方がなかったです。「なんで春子、今やねん!?おまえ、何か俺らに言いたいのか?」って。そんな気持ちでいてました。
結果的にね、ああやって人見さんとカメラマンの増田さんがいらっしゃる時に、息を引き取る形になって。まあ結果的にこんな映画になるなんて、さっきも言ったように想像はできませんでした。正直ね、きついんですよ、これ。我々この映像観るの。今観ても思います。もうあかんのはわかってるねんから、やめたれや。私、観てても思います。私自身、(春子が)倒れた時が来たら、それこそ薬剤で安楽死をさせるぐらいのことまで考えてました。
あそこで、写ってたスタッフ、職員の誰もが、もう春子が立ち上がるなんて思ってた人間は誰もいませんでした。担当獣医も延命処置はしませんと、はっきり言いきりました。誰もがもう亡くなるということがわかっていたんです。でも、ああやって春子が一瞬でもちょっと起きようかなんて思って、脚をバタバタさせたことで、みんな、もう止められなかったですね。もう動かずにはいられませんでした。
もう立たれへんのはわかっているのに、実際、あの場所におったら、やっぱし、ああしてしまうんですよね。まあホンマにそれが私たちの飼育係としての人間としての甘さなのかしれません。春子は何かを残したかったんでしょうか?
それともね、たまたまだったんでしょうか。今となってはわかんないですけど。
この映像の中に出てましたけど、この時に驚くべき神対応をしてくれたのが、ラニー博子なんです。まぁ、ラニー博子はね、よその動物園の象の飼育係とか、海外からいらっしゃった象使いが、あの子の顔見た途端にみんな同じこといいます。「きつい顔した象やなあ~」プロの象使いですら、この博子に関しては顔見ただけで、もう無理やって言います。それぐらい、過去にいっぱい、いろんな事件起こして、まあヤンチャくれな博子なんですけど。ああいった非常事態にビックリするくらい神対応してくれるのが博子っていう象なんです。あの時もね、ジッと作業が終わるまで、一言も発さんとおとなしくしてました。
普段あんな部屋に閉じこもれたら、もう柵がガンガンとじて、扉ガンガン押して、おら、はよ出せ?っていうて暴れまわってるような子なんです。ホンマに博子ね、神対応にはすごく救われました。今ね、春子はいなくなって、天王寺動物園にはラニー博子、頑張っています。たしかに、春子のような大スターではありませんでした。でも博子は常に春子が大舞台で脚光を浴びる一方で、常に辛抱してきた象です。
順番はいつも春子が先、主役はいつも春子、博子はいっつも影で何で私だけ?、て言うて我慢してきた象です。その博子が春子の亡き今、もう博子にしかできない柔軟な対応で、春子には出来なかったビックリするようなイベント、たくさんこなして、お客様を喜ばせています。こんな言い方したら怒られるかもしれんけど、ホンマにガラの悪い大阪のおばちゃんみたいな博子ですけど。すんません。 また、よかったら会いに来てやってください。取り止めのないお話になりましたけど、「春子 最後の夏」をご覧頂きました皆様への私からのお礼の言葉とさせていただきたいと思います。みなさん本日はどうもありがとうございました。

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