ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第14回・2016年度映画上映

第14回(2016年)上映作品

えんとこ(100分)

 「えんとこ」は、縁のあるとこ。
脳性マヒで寝たきりの障がい者、遠藤滋のいるところ。
遠藤は寝たきりの生活を10年近く続けており、不自由な体を引き受けながら、自立したいという強い意志を持ち、介助の若者達の力を借りて1日1日を丁寧に生きている
監督は25年ぶりに再会した友人遠藤の姿に心を動かされ「えんとこ」に通い始め、カメラを回し、日常のあれこれを記録する。1日24時間3交代で遠藤を介護する若者たちは、彼と関わることで実に生き生きとした表情を垣間見せる。そして、遠藤から多くのことを学びとっていく。「えんとこ」は遠藤滋というたぐいまれなる教育者を中心にした学校のようだ…今では1000人を超える若者たちが「えんとこ」という学校を卒業していった。
  この映画は、遠藤滋と介助の若者たちとの「命を生かし合う関係」日々の暮らしを3年間にわたって記録したドキュメンタリーである。

伊勢 真一 監督

1949年東京生まれ
大学卒業後、いくつかの職業を経験した後、映像の世界に入る。父は記録映画編集者として活躍した故・伊勢長之助。
ドキュメンタリー映像作家として長年に渡り、精力的な活動を展開。テレビから映画まで、ヒューマンドキュメンタリーを中心にさまざまな人の日常を、温かい眼差しでほのぼのと映し出す作風で知られる。

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伊勢 真一 監督からのメッセージ

 「えんとこ」は、「奈緒ちゃん」で自主製作自主上映のドキュメンタリー創りに取り組むことを始めた私にとって、この道を行くしか無いと覚悟を決めさせた作品である。この映画を創ったことで、「いせフィルム」という製作の拠点を持つことになった。
そしてまた「えんとこ」は、ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》を立ち上げるキッカケにもなった作品だ。2001年12月、阿倍野区民センターオープンイベントの一つとして「えんとこ」上映が企画され、その時にかかわったスタッフを中心にして、翌年からヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》が始まったのだ。「えんとこ」上映から15年、映画祭は市民の力で支えられすっかり定着した。
主人公の寝たきりの障がい者・遠藤滋は、学生時代の友人だ。その私の友人が、若者の力を借りて「自立生活」に取り組む姿を追ったこの映画は、遠藤だけでなく介護する多くの若者たちの「自立」が描かれてもいる。そして結果として、映像作家としての私の「自立」をうながした。そして、市民の手による映画祭という「自立」をも生み出したと言えるかもしれない。14年目にあたる今年、「えんとこ」を映画祭の締めにプログラムし、原点を見つめ直してみたいと思う。私は、何故ドキュメンタリーを創るのか?ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》は、どういう映画祭を目指すのか?映画を観る一人ひとりはどう生きるのか…
映画「えんとこ」が語りかけるメッセージにもう一度耳を澄ませてみよう。

舞台挨拶(伊勢 真一 監督)

 ありがとうございました。
(「えんとこ」は)もう今年で14回目になる、この「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」を始めるきっかけになった作品なんです。どういうことかというと、1回目の前の年、このホールが完成して、こけら落としということで、いくつかのイベントを阿倍野区が主催してやったときに、この映画でね、僕を呼んでみようということで、ここで上映してくれたんです。
その時、映画が終わって質疑応答みたいなことをやったんですが、そしたら2人目か3人目の男の方が手を挙げて、この映画に出ている遠藤さんのような人はいない方がいいって言ったんです。それは質問なのか、それとも映画に対する感想とか、遠藤の生き方に対する感想なのか何を言いたいのかなと、僕は壇上でどう答えていいのかわからないってなって、そしたら間髪を入れずっていうぐらいにすぐ、初老の女性が立ち上がって、「そんなことはない、この映画にはそんなことはないという事が写っているじゃないか!」と、その女性が言ったら、その時、そんなにたくさんの人数いたんじゃないんですが、一斉になんか拍手が起こって。 一番最初の上映会だったんで、終わった後に本当にその強い印象を僕に残して。その後の打ち上げの時、スタッフと来年もまたやろうという話をして、この「えんとこ」も含めてヒューマンドキュメンタリー映画を毎年ここで観るという事をやってみようって。
まあ、みんなで盛り上がって。それは酒の席だったんで、本当にいつ実現するかなあって思ってたんだけど、本当にやろうってことになり、その次の年の夏からこの「ヒューマンドキュメンタリー映画祭阿倍野」っていうのが始まりました。
最初は「阿倍野ヒューマンドキュメンタリー映画祭」っていってたんですが。最初の5年は阿倍野区がバックアップするというか助成してくれて、映画祭もその支えで続いたんですが、5年目に自主運営となって「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」って逆にしたんですね。まあ逆にしたのは、「ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」や、「ヒューマンドキュメンタリー映画祭 世田谷」だったり、ここで始まったヒューマンドキュメンタリー映画祭って僕らがやろうと思い立ったことが、どんどん飛び火してね。
いろんなところで、やられていくといいねと夢を見て。それから更に10年くらい続いて。今年は是非、一番最初のきっかけとなった「えんとこ」をもう一度みんなで観ようということと、去年「えんとこ」の遠藤の所にもう一度訪ねるっていうようなことをしたときのショートフィルムがあるんですけども。
東京で一回だけみてもらっただけなんで、まだほとんど見られてない。
まあ僕はそれをきっかけにまた遠藤の所へ通い直すっていうことをやってみようかなって、実は思ってることもあって。何年ぶりなんでしょう。17年ぶりくらいに訪ねた「えんとこ再訪」っていうのも含めて、この後、観てもらうことになったんで。
まあ、この3日間の最終日としては、ふさわしいプログラムになったなと思って。
ただ僕も「えんとこ」はしばらく観ていないってことがあったんで。後ろで観せてもらったんですが。自分で言うのは恥ずかしいですが、少しも古くなってないなって気がしました。古くなっていないってことは、もちろんその映画の魅力としての古くなっていないということを肯定的に言えば、あるだろうし。
でも、また否定的というか「えんとこ」を撮って、完成したのは1999年ですから、17年前になるんですかね。17年前からどう変わって、どう良くなったり、どう悪くなったりしたんだろう。ずっと考えてきて、今回上映した他のドキュメンタリー映画の残像みたいのが、僕の中に残ってることもあったと思うんですが。これを撮ったちょうど大晦日ね、紅白歌合戦なんかに出てくるんでね、 その1999年は自分の中で忘れないんですけども。だからドキュメンタリー映画はやっぱり、出来上がって、その時に見てもらうという意味もとてもあるけれど、ずっとその出来上がった映画が生き続けるっていうか、息をし続けるっていうことだと思うんですよね。
だから、17年前ということだけではなく、そう思えなかったり。それから、例えばご覧になった方で、以前に観てるという方と初めての方といらっしゃると思うんですけど、初めて方が圧倒的に多いですよね。その初めての方にとっては、今日観た映画が今の自分にとってはね、「えんとこ」っていう事だと思うんで。
そうやってその映画と対話するっていう事であり、同時にもう1つ思うのは、一生懸命この「えんとこ」っていうのも自主上映を呼びかけて、随分、自分ではやってもらったつもりでいたんですけども。ほとんど観てもらえてないって言ってもいいんだと思うんですよね。今回やったその映画がどれだけの人達に観てもらえてるだろうかというと、まだほとんどの人に来られてないんだって。だからどうやって観てもらうっていうことをね、やっていくかって、最初から自主制作で映画作った時から思いながらやってきたんだけど。
今もやっぱりどうやって作るかっていうことと同時に、それ以上にね。
どうやって観てもらうかってことが、とても重要なんだと思うんですね。

もちろんテレビの仕事で、テレビでやれば一度に、たくさんの人達が観るってことは可能ですけども。こういった形でね、今日は立派なホールだけども、小さなとこでも自分たちが作った映画を観てもらって、その観てもらった人たちと話をしていく。
そのことの良さっていうか、とても贅沢なことだとは思うんですが。その良さを何とか僕は続けていきたいし、今回参加してくれた人達にも、どんどん続けられるような状態に、何とかしていければいいなと思っています。 遠藤の所に通い始めたのは、1996年だと思います。1995年に、「奈緒ちゃん」っていう僕の自主制作の処女作が完成して、その上映が始まったのが96年で、96?97年にかけて遠藤が、ぜひ自分の仲間と一緒にやるからって言って、手を挙げてくれたっていうのが、この「えんとこ」を撮り始めるきっかけにもなる。だから、自分が一本の映画を作ったことが、そうやってその次の映画に繋がるっていくっていうか、その後そんな無理して、ずっと何本かの映画を作り続けていって、今一番新しい作品は、「命の形」っていう、まだ11月に東京で公開されるんですけど。そこまでずっと自主制作で、まあ誰かに頼まれてっていうよりも、撮ろうと思って自分で撮り続けると。
それが今日も思ったんだけども、ずっと続いている1本の長い映画を撮ってるような感じっていうのは、「奈緒ちゃん」っていう映画を作った。「奈緒ちゃん」の映画の最後にエンドマークが出るんだけど。でもそれは、それこそ仮のエンドマークみたいな感じで。そのあとに続いた「えんとこ」だとか他の作品にずっと続いてて、今もどうなんだろ?
何十時間っていう長い映画を僕はずっと、撮り続けてるんだなという、今日なんかすごく思いました。さっき「えんとこ」をね、もう一度訪ねてっていうことを考えてるって話をしましたけども、最初に作った「奈緒ちゃん」っていう自分の姪っ子が、てんかんと知的障害があるんですけども。
二十歳の時まで撮ったんですね。奈緒ちゃんを。でも、その後もずっと撮り続けてて、35年になったんです、撮影が。今年ね。奈緒ちゃんは43歳。8歳の時に撮り始めて43歳。ずっと撮り続けて、撮りためたフィルムが、今はビデオですけども編集室にダーッと並んでて、それをこの夏から、編集を始めた。もう何か肉体労働みたいな編集ですけど。
膨大に回っているフィルムを編集している。なんとか来年には完成させて、それこそね、阿倍野でね、お披露目できたらいいなと。来年見終わったときは、36年の記録っていうことになるかもしれないけども。まあ自分たちがやってることって1本1本の作品を何とか観てもらいたいてことをさっき言ったみたいにやるわけですけども。
まあ、マスメディアでは、なかなかできないようなことだとか、自分のまあ非常に身近なことを自分だから、撮れるに違いないと思って出来てるわけですね。いくつか自主制作で作ることの意味みたいなのがあると思うんですけども。なんとかそういう人を撮ってみたい、観てもらいたいとか。昨日ここで、土井さんや金くんとドキュメンタリートークをやったとき、ナレーションや音楽はやっぱりすごくフレームアップするっていうか事実とは少しかけ離れるぐらいの感じで、盛り上げっていうのかな。っていうことはドキュメンタリーにとってどういうことなんだろうか。ってことが話題に出たんだけども。今日、もう一回見直してみると、「不屈の民」という曲なんだけども、チリの市民革命の時に百万人の集会で歌われたっていうCDを聞いて、僕は感動して、ぜひこれでやろうって言って、チリに連絡して版権をいただいてやったんですけども。 自分たちで歌ってるんですね。僕の声も入ってる。仲間もみんな集めて。学生時代の仲間や映画の仲間や、遠藤なんかみんな集めてスタジオで大声出して歌ったっていうのを思い出して。だからもうこの場合は、はっきり応援歌だって言ってるんだって作ったんで、あのそれこそ昨日の音楽で盛り上げるのは・・・って言われるとちょっと答えようがないなと思いながら。でも、もしかしたら、応援歌のようなドキュメンタリーがあったっていいと思うっていうか、なんかその自分はどっちかっていうと、そういう応援歌のドキュメンタリーしか作れないかもしれないって、観ながら思ってました。
それでちょっとだけ、つい最近書いたこの「えんとこ」に関することと、さっきの一番最初にあった出来事のことを含めたことを読んで。それで去年最新の、「えんとこ」のその後なるんですが。「えんとこ 再訪」を観ていただきいて、また戻って少しだけ話しておしまいにします。
数日前、新聞紙上の見出しに「障害者はいないほうがいい」と活字が踊った。
神奈川相模原市で1人の男が障害者の施設を襲い大量殺人を犯したのだ。
16年経って同じ言葉を聞くとは思わなかった。一人の狂人が犯した事件と片付けられるだろうか。格差社会のこと、ヘイトスピーチ、認知症に及ぶ事件、児童虐待、保育園の問題。どれも私達の社会が今も弱い者に生きにくい状況であることを物語っている。言い方を変えれば、「障害者はいないほうがいい」という言葉は、弱い者がいない方がいいということではないか。私達の社会は16年経って何も変わっていない。

何も変わってないのか、むしろ生き難くなってしまったのではないだろうか。
押し返さねばと思う。といっても、私のようなドキュメンタリーの作り手にやれることは限られている。それでも押し返さねばとも。強い者に力があるとだけ思われがちだが、強さではなく、弱さにも力があると思うのだ。弱さの力とでも言うのだろう。
そのささやかな力、一つひとつに気付いていくようなドキュメンタリーを作り続けよう。マスメディアのような大きな声にはならない、負け犬の遠吠えのような作品だと笑われるかもしれないが、負け犬の遠吠えだって、集まれば人々の耳に届く。
と、いう文章です。観ましょう!

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