ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第13回・2015年度映画上映

第13回(2015年)上映作品

ゆめのほとり -記知症グル一プホーム 福寿荘-(85分)

北海道・札幌市にある認知症グループホーム 福寿荘の日常をスケッチした、穏やかで、静かで、優しいヒューマンドキュメンタリー。
映画は重度・軽度さまざまな認知症の人々が、それぞれの日々を共に生きる姿を淡々と映し出す。認知症についての説明等は殆ど無く、「認知症」という病を見つめる以上に「人間」を見つめ、寄り添うことを大切にした作品。
認知症の人は「何もわからない、できない人」ではなく、「本人なりの思いや願い・できる力を秘めている人」「地域社会のなかで築いてきた暮らしや人生があり、今を生きている人」「日々、喜怒哀楽を共にしながら、支え合っていくパートナー」であることを、素朴な眼差しで丁寧に描き出す。
認知症のこと、そのケアのこと、そして「生きる」ということ。何気ない一言やワンシーンに、耳を澄ませてみてください。

伊勢 真一 監督

1949年東京生まれ。
『奈緒ちゃん』『えんとこ』から『風のかたち』『大丈夫。』などまで、長年にわたりヒューマンドキュメンタリー映画を中心に製作。様々な人の日常を温かい眼差しでほのぼのと映し出す作風で知られる。近作は『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』(2012)、『小屋番 涸沢ヒュッテの四季』(2013)、『シバ 縄文犬のゆめ』(2013)、『妻の病-レビー小体型認知症-』(2014)など。2013年「日本映画ペンクラブ功労賞」受賞。翌年2014年には「シネマ夢倶楽部賞」を受賞。

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舞台挨拶(伊勢 真一 監督)

 どうもありがとうございました。
 出来上がったばっかりの映画で、関西では初上映ということで。
東京の日比谷で試写会を1回やってから、一般の方に観てもらう二度目の上映なので、どんなふうに、みなさんが受け止めてくれるかなと思いながら、一緒に観ていました。
いい映画だと思うんですけども。言われる前に自分で言う(笑)。(会場笑い声)誰も言わないから自分で言う(笑)。
 経緯というか、なぜこの映画をつくるかとなったことに触れようと思いますが。
去年は「妻の病」という映画を、ここで関西初上映しました。「妻の病」は観ていらっしゃる方はいますか?あ、ありがとうございます。
「妻の病」は、友人の夫妻の奥さんが、若年性の認知症になってしまって、そのことを10年がかりくらいで、フォローしたドキュメンタリーなんですけども。
撮影が本格的に佳境に入ったのが、2011年。ちょうど震災があった年からだったんです。 僕は認知症に関して、ほとんど素人。ですが、認知症の病気のことを、紹介しようとか、伝えようという意識で撮り始めたんじゃなくって。「妻の病」自体は。
友達の夫妻の、本当に、悪戦苦闘というか、病と向き合っていることを、きちんと記録したいって思って撮り始めたんです。
そのときに、あまりにも、自分が認知症に対して知らないことが多すぎるなって思っていて。本を読んだり、誰かにレクチャー受けたり、あるいは今でいうとインターネットで調べたりして、言葉で理解するってことをするのではなくて。
実際の認知症を生きていらっしゃる方のそばにいることで、どういうことなんだろうことと。しっかり身体で、受け止めたいと。僕も映像をつくる人間として言えば、知識や言葉以上に、実際の現場で見てきたものを自分が、このことはわかったというつもりで、見てもらうっていうのが一番フェアだと思うので。
勉強はする必要はあるというか、したほうがいいんだけども。あの、ちょっと本読んだくらいで、利いたような風のことを言うようなことだけはしたくないと思って。
他の作品もずっとそういうつもりで作ってきたんですけども。知ったかぶりをしないって言うか。認知症っていうことの関しても特に、たくさんの人が受け止めていらっしゃる。
その周辺のご家族や周りの方がすごく真剣に考えようと、考えているときに、ちょっと知識だけで・・・、ということをしてはいけないと思って。
 何箇所か、グループホームや、それから家庭で認知症の方を診ていらっしゃる方を訪ねさせていただいて、その内のひとつが、北海道の札幌にある福寿荘というグループホームでした。そこに様子を見に行かせていただいたら、とっても、おばあちゃんやおじいちゃんたちが、すごくフランクにというか、とてもいい空気だなと思うところだったので。
ここで、おばあちゃんたちのすぐそばにいて、カメラ回しながら、認知症って一体どういうことなんだろうと、自分なりに捕まえてみたいと思って、「妻の病」の撮影と、ずっと並行して撮影をしたということです。

 ですから、実際は2年間くらいですかね。高知(「妻の病」の撮影)へ通いながら、北海道で撮影をして。ちょうど2011年から2012年にかけては、震災(東日本大震災)の記録の「傍」という映画も撮影していたので、宮城と福島にも通っていたんで。並行して3つのことを、なんとか自分なりにつかまえたいと思って。
その中の一番、遅れて完成したのが、今日観ていただいた「ゆめのほとり」です。
さっき、あまり利いた風なことを言いたくないって言ったのは、すごく大事にしたいって思っていて、この映画もある意味で、“入り口に立つ”っていうか。
認知症のことや、あるいは老いるってことや、あるいは生きて死ぬってことや、そういうことの入り口に立って、しっかり見ていきたいと思ってつくりました。
ですから、もしかしたらテレビの報道やドキュメンタリーのように、すごく親切っていうか、全部を紹介したり、というようなことがほとんどされてないんで、もうちょっと親切にいろんなことを、教えてほしいって思われた方もいらっしゃるんだと思うんだけども。
でも、やっぱり入り口に立つっていうことが・・・、もちろん渦中にいる人にとっては、そんなのんきなことじゃないんだってこともあるですけど、そういったことも含めてですね。まだまだわかっていないことが、本当に多くて。お医者さんでさえ、病名の診断がつきにくい状況ですから。この映画をつくることで、専門的な方に専門的な目線で、観てもらうってことよりも、それぞれが自分の状況の中で、他人事ではなく、自分のこととして、もうちょっと自分の状況や環境を考えてみようとなるのかもしれないし、自分の親や連れ合いだけでなく、自分自身も、認知症のこと、老いていくこと、それから人間の命には限りがあるっていうことを、ほんの少しでも考えたり、思ったりする入り口にもなれば、映画としてつくった意味があるかなと今、思っています。

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