第13回(2015年)上映作品
戦後在日五〇年史・在日 歴史篇(135分)
この国には、「在日」と呼ばれる朝鮮半島にルーツを持つ人たちが住んでいる。全国どこにでもいる。その数は百万人とも二百万人とも言われている。もちろん国籍の数ではない。今から百年ほど前、朝鮮は日本によって植民地支配された。結果、沢山の朝鮮人が海を渡った。1945年8月15日の敗戦により朝鮮人は解放された。それらの人々は現在も「在日」としてこの国に住みつづけている。この作品は戦後の「在日の軌跡」を描くことを通して、日本の戦後史を描写している。
キネマ旬報ベスト・テン<文化映画>第2位
日本映画ペンクラブ<ノンシアトリカル部門>1位 など
呉 徳洙 監督
1941年、秋田県生まれ。
早稲田大学卒業後、大島渚監督の助監督、テレビドラマ制作などを経て独立。「指紋押捺拒否」(84年)、「在日」(97年)など、在日韓国・朝鮮人の人権問題や戦後史をテーマにした記録映画を製作した。
舞台挨拶
呉 徳洙 監督/金 聖雄 助監督
呉 徳洙 監督:長々とありがとうございました。
この映画が、ちょうど18年前ですけども、(JR大阪)環状線に、新今宮という駅がございました。その中にシネフェスタ(フェスティバルゲート内にあったシネコン映画館。2007年7月に閉業)で何と4月から7月まで、1日3回上映でロングランをしたというね。
さすが、大阪だなと思って。何かシネフェスタの連中がすれば、『久々にいい仕事が出来ました』というふうに喜ばれました。
1995年の完成をする(予定)ということが、2年延び込んで1997年になりました。あれから18年間、いったいこの日本はどのように変わり、在日がどのように変わったかということを断片的に拾いますと、いろんなことがありました。まずは2002年の在日とっては非常にショッキングな「小泉訪朝」(日朝首脳会談)。拉致の問題が大きくクローズアップされて、もちろん13、4歳の子ども、娘さんを拉致するわけですから、国家的な犯罪で絶対許せないですけども、これほどまでにキャンペーンが敷かれ、在日の人達がダメージを食らわせられたってことは、本当にこの20年にはなかったような気がします。
もう1つは4年前の3.11です。これは、遠く被災地はもちろん、2万数千人の方が犠牲になったという大きな、これは災害でした。もちろんその中には在日も結構います。
それともうひとつ、この4、5年前から、ネトウヨ、在特会っていうどこにでもこういうバカタレはいるもんだというふうに捨ておきていいのか。
それともそうじゃなくて、それを許容する何か、この日本の空気みたいなものがあるのか。それは私もよくわかりません。
もちろんカウンターという形で、それは仲良くしようということでやっている若者達はいますけれども。いまだにそういう排外的な考え方が、明治以降、一貫して、ずーっと、この日本にある。これは一体なんなのかというこえーと、金、何かひとつありましたら最後にどうぞ!
金 聖雄 助監督:背後霊のようになっておりますけど、助監督をやらしていただきました金聖雄と申します。今日僕も久々にちょっと途中まで見たんですけども、見さしていただいて、まあ作っていた時よりもなんかずっしりと感じるものがあるなと思います。
それとまあ同時に「在日」で、そのなんかこうものの見方みたいなものを、ずいぶん教わったような気がします。そういうことを、きっちりと引き継いでいこうっていうか、作っていければなと思っています。
呉 徳洙 監督:これほどいい話を、私はそばで聞いたのは今日が初めてなんですけどね。(笑)
とにかく最後に結論です。「在日」のことは、そんなに長い歴史ではありません。105年です。1910年、もちろんその5年前のウルサ条約(第二次日韓協約、乙巳条約)からはじまるという数え方もありますけども。
この100年の中で日本が、これを言うとですね嫌がられますけども、朝鮮に何をしたのか?そしてどうして「在日」という人達がここに生まれ育ったのか?
そして今、三世、四世、もう五世の時代にきています。
ということは一言でいえば、「在日」の問題というのは、やはり日本社会そのものの問題なんですね。女性の問題だって日本史です。同和の問題だって日本史です。障がい者の問題も、老人の問題も、子ども達の問題もみんな日本史です。
だから日本史のひとつとして、やはり「在日」の問題も、これはあくまで私の見方ですけども、そういう切り口で「在日」の人達をみていただければ嬉しく思います。本当に今日は長々とありがとうございました。
金 聖雄 助監督:ありがとうございました。