ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第13回・2015年度映画上映

第13回(2015年)上映作品

ゆきゆきて、神軍(122分)

87年の日本映画界を震撼させた驚愕の作品。天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三を追った衝撃のドキュメンタリー。
神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、“神軍”の旗たなびく車に乗り、今日も日本列島を疾駆する。生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる…。
平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー。

日本映画監督協会新人賞
ベルリン国際映画祭カリガリ映画賞
パリ シネマ・デュ・レール映画祭グランプリ
ロッテルダム映画祭批評家賞
毎日映画コンクール日本映画優秀賞 ほか

原 一男 監督

1945年山口県生まれ。
72年ドキュメンタリー映画「さようならCP」で監督デビュー。06年より大阪芸術大学映像学科教授。

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舞台挨拶(原 一男 監督)

こんにちは。お疲れになったでしょう?(会場、笑い)
この映画観ただけではよくわかないと思うんです。いっぱい疑問が出てきたと思うんですよね。いくつか、私の方から多分こういう疑問が出るだろなと、思うこと言いますと、「なんで、ニューギニアで冬を捉えたのか。」ね?
ラストに字幕を出るだけじゃわかんないですよ、あれね!?
それとか遺族の人が二人途中から消えますよね!?「何で消えたんだろう?」とかね。そもそも、私たちと奥崎さんが撮影の現場で仲がよかったのか、悪かったのか、よくわからないでしょう?(会場、笑い)
で、奥崎さんから「私、刑務所の中に入る覚悟したんです。」って言ってますよね?それが意味するものは一体何なのか?とか。でも、それを全部字幕でこう説明すると、映画のリズムにならないもんですからね。映画の、ドキュメンタリーっていう、とにかく様々な要素ってものすごいあるんですよね。
で、その中から映画にするために取捨選択。具体的に言うと編集という作業をするし、通してひとつの作品に作り上げていくんです。
 だからいっぱい捨ててんですよね。だけども、その捨てた中に、いろいろこの映画の全体像を理解するための、エピソードがいっぱいあるんですよ。
それは、他の映画もそうだと思うんです。特にこの作品はですね、なんていうんでしょうか。この映画の、まんまを信じてもらうと困る、みたいなところあるんですよね。最大のことは、この映画を観てると奥崎さんが、すごく理路整然と語っているように見えるでしょ?これは大嘘ですからね!
何が嘘かっていうとね、奥崎さんが元兵士達を追求していくでしょう。
で、元兵士の人たちっていうのは、実は次男坊さんの多いんですよ。圧倒的に。戦争に取られた人達は。で、長男坊は家を継がなきゃいけないから戦争に取られなかった。それで次男坊が、みんな戦争に取られるんです。
で、生きて帰った。その人たちがどっか養子に入るんです。すると、姓が変わるんですよ。奥崎さんは人の名前をね、言い間違えるんですよ。
旧姓と現在の姓を。だから編集する時に大変だったんですよ。

それでもうひとつ大変だったのはね、奥崎さんの中で、理路整然に相手を追及しているように見えますが、すぐに自分の自慢話を始めるんですよ。
「私がいかに人間として優れた事をやりました」と。「あんた、自分の生活のためだけにやることやった、私は生活を売っちゃってね、天下の為にこういうことやったんだ」って、すぐ入るんですよね。編集っていう仕事は整理整頓ですから、奥崎さんの言い分が通用する、通じるように、この言葉とこの言葉とこの言葉をわかりやすいように、編集でうま~く継なぐんですよね。結果、とても奥崎さんが理路整然のようにみえるでしょう?
事実は違うんですからね。だからいまどきのドキュメンタリーに対する考え方ってのは、「ドキュメンタリーだってフィクション」だって考え方が主流なんです。だから、この通りに信じられると非常に困る。
 実はこん中で一番まあ、まあいくつも問題になった箇所があるんですが、奥崎さんが、そのヤマザキさんてねえ、あの人ほんとにいい人なんですが、あの人と、人の肉を食った食わないで、まあね、あそこ2時20分ちょっとのシーンなんですが、あの下りが終わって、日本赤十字病院にも運ばれていきますよね。
で、その後に奥崎さん、インタビューするわけですよ。
そしたら、私が、「死ぬまで暴力をふるい続ける」って言ってるでしょ。
あれはね、編集マンと一番もめたところなんです。編集マンは「あの言葉を入れない方がいい。」って言うんですよ。で、理由は奥崎さんが、天皇がね、太平洋戦争に対して最高責任者だ、って一言もそのことを詫びてないじゃないか、ということを追求してる奥崎像があって、その追求している奥崎さんの、イメージを鮮やかに造形するために、あの言葉はない方がいいって、編集マンは言うわけですよ。それは一理あると思うんですよね。でもね、もしあれ落とすとね、実感として嘘だろうって思うんですよね。奥崎さんの方は決してね、民主的でもないですよ。無茶苦茶ですよ。はっきり言えば、テロリストですよ。

 ただ、奥崎さんのやり方にはついていけないけれども、言い分には理があるかなあ~っていう受け止める側も、複雑に気持ちがこう揺らぐんですよね。
これね、揺らいでもらわないと困るんですね。
あんまり正義の人、奥崎謙三が作りあげりゃ・・・。だからそんなことがあってですね、「ドキュメンタリーってフィクションだ」って、その裏話を私はいつも時間をもらってしてるんです。そうするとだいたいはわかる。

しかし、その全貌をわかってもらうために二時間必要です。で、今回、二時間は取ってもらえませんので。ちょっと残念ながら全体像理解してもらうのは無理なんですが、一時間でもあればね、いろいろかいつまんでお話出来るんですが、それが残念ながら今回は出来ませんので・・・。なんとなくモヤモヤとした気持ちを持って帰ってください。(笑)
え~、これ奥崎さんとね、出会った時はね、奥崎さんが62歳でした。で、その時点で、戦後36年、っていうタイミングだったんですよ。その時に奥崎さんが僕らに言っていたのは「原さんはどういう映画をお作りになるとなるか、私はわかりませんが、今さら戦争のエピソードを映画の中で扱ってもね、誰も観ませんよ。」って言ってたんですよ。何が言いたかったかっていうと、犯罪を入れたかったんですよ。やたらね、私に言ってきた。これは時間があれば丁寧にお話しますけど、やたらね、犯罪をやりたがってたんですよ。なぜかといえば、犯罪は奥崎さんにとってね、勲章ですからね。 つまり前科三犯で、事件を起こしたために、売上が三倍になったって自慢している人ですから。だけども、奥崎さんが最初から犯罪やると捕まって、僕ら映画取れないでしょ。だから、僕は最初、奥崎さんが犯罪事件を起こすということを撮りたいわけじゃないので、やっぱり戦争に関するエピソードを扱わないと、奥崎さんの、なんていうのか存在意義みたいなのが浮き彫りにならないだろう、というふうに考えて、奥崎さんがあれを撮ってもらいたい、これを撮ってもらいたいということ、一切拒絶して、「戦争の話なら撮ります。」ってことで、進んできたんです。
だから現場で奥崎さんと私の確執さは凄まじいものがあるんです。で奥崎さんと私がぶつかりますね。そしたら奥崎さんはすぐ言うんです。「もう、あんたたちと映画をやらない。フィルムも全部燃やしてしまえ。」だから完成したのは奇跡みたいなものですよ。これは。ものすごい危機の連続だったんです。ほんとに不思議な気がします。よく完成したな。
完成したのは1987年!だから28年前になります。もう、ね。奥崎さんが、たしか62歳の時に会って、63歳の時の本格的に撮影があって、その時点であの中隊長さんを殺すという決意をするって映画の中でも言ってますよね。
あの年で、ですよ。殺人を犯すと最低10年は刑期をくらうんですよね。
それでも、やるって宣言してやった。で、出獄したのが、だから、懲役12年ですよね。12年という懲役を終えて、出獄してきたんです。
で、奥崎さんは「パート2を作って欲しい」って、私に言ってきたんですよ。
私は奥崎さんが刑務所にいる12年間、撮るべきか撮らざるべきかってね、悩んだんです。で、最終的には撮っちゃいけない、撮るべきじゃないって結論を出したんです。だから私は奥崎さんが刑務所から出て以来、ひとつも、全然会っていないんですよね。で、奥崎さんは出獄して、それからどうしたかと言いますと、簡単に言いますとね、え~、もう左翼崩れ。なんか、怪しい連中に担がれてね、AVポルノに出演してるんです。
それはそれで話題になったんですよ。で、それを評価する、アホもいますよ。世の中にはね。でも、喧嘩状態になって、一人になって、神戸に帰ります。で、奥さんはもう亡くなっています。ほんとにね、この続きをやりたかったみたいなんです。そいでね、話は飛びますが、奥崎さんが、亡くなられます。10年前に、神戸に奥崎さんの支援者っていう人がいます。で、その人から連絡が来ました。奥崎さん、亡くなって、住んでた家をね、取り壊さなあかんと。
で、「形見分けしたいので、是非いらっしゃいませんか?」って誘われて、私、行ったんです。そしたら、VHSのテープが山のように積んであってね、ラベルを見ると、「神軍平等兵の凱旋」とかね、「神軍平等兵の遺書」とかいろいろ書いてあるんで。奥﨑さんの手でね。そのテープを貰って帰ったんです。

もらって帰ってすぐ観なかった、ごった返してるんです。ごくごくつい最近、ほんとに最近です。そのテープを編集しまして、奥﨑さんの没後10周年ってこともあって、奥崎さんが一人になって、いったいどんなことを考えていたのかわかるように30分ぐらいの長さに、つないでもらって、それを観たんです。
そしたらもう、私の悪口ばっかり!むちゃくちゃ。
もう、私をまるで人非人のように言っております。だけど、それはその言葉の裏っていうのは、奥﨑さん相当にね、この神軍のパート2を撮ってほしかったんだな~っていうふうに思うんです。 でもね、パート2作ったらどうなったか。みなさん、わかります?イメージできます?「エイリアン」ていう映画があるでしょ。エイリアンの一本目ってね、すごく優れたSFですけど。一本目はエイリアンが一匹ですよ。
ところが、二本目になると、一本目よりグレードアップしなきゃいけないでしょ?そうするとエイリアンズになるんですよね。うじゃうじゃと。だけど、奥﨑さんしょせん一人じゃあ・・・。で、パート2作って奥崎さんが、たくさん出るかっていったら、そうもいかないじゃないですか。
じゃ、どうします?奥﨑さんって、リアリストですよ。すごく。
テロリストなんだけども商人でしたからね。すごく考え方がリアリズムなんですよ。奥﨑さんにできること、なにかと奥崎さんも言ってますが、犯罪しかないんですよ。この映画以上にもっとエスカレートした犯罪ってどういうことになるかって、わかります?
私、あえて答えを言いませんが、やっぱりもうこれ以上やっちゃいけないんだなって結論出したから、やらなかった。
しかし、奥﨑さんは亡くなる直前まで、何かね、世の中に対するこう、恨みつらみ、呪詛っていう、抱えたまま、ああ、死んでいったんだなあって。まあまあ、もう10分経ちました。あと、トークがあるということで、そん中で少しまたお話しできればいいと思います。
どうもありがとうございました。

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