コンテスト最優秀賞作品
(2005~2016年)
プロ・アマを間わず、ドキュメンタリー文化を育むことを目的に開催を続けてきたヒューマンドキュメンタリーコンテスト。全国各地から毎年多数の作品が応募され。《阿倍野》がドキュメンタリストの発表の場として定着し、当コンテスト出身の映像作家も誕生しています。
最後となる今年、ご応募いただいたみなさまのさらなる活躍を期待し、2005年から2016年のコンテスト最優秀賞受賞作品の中から、3作品を上映しました。
※最優秀賞受賞3作品の上映後、各受賞者からの舞台挨拶を紹介します。
ドキュメンタリー コンテスト 2005年度 最優秀賞受賞 |
テーマ「阿倍野の記憶・私の記憶」 「羽包む(はぐくむ)」(20分) 制作者:中井 佐和子さん この作品は私にとってとても身近な世界を写したものです。そしていま私は東京で就職してなべっちや当時のクラスメイト達とも遠く離れていますが、「羽包む」をみると高校時代のみんなや自分に会えるような気がします。 私の目にしか映っていなかった光景を、作品にすることで誰かが見て、何かを感じてくれる。そのことがとても新鮮でした。 <制作者からお客様へメッセージ/2017年6月> 「羽包む」は大学の卒業制作として作った作品です。 高校生で出産しシングルマザーとなった友人にカメラを向けた、私にとって初めてのドキュメンタリー作品でした。第一回のコンクールで賞をいただいた時は、就職の為に上京しADを始めた頃だったのでとても励みになりました。 12年の時を経て、今回上映していただけること光栄に思います。 改めて作品を見直すと拙いところばかりで(特に自分で吹き込んだナレーションなど・・)恥ずかしい限りですが、初々しい素直な気持ちで作品を作っていることに、改めて気づかされることもありました。 また私にも子供が生まれたこともあり、当時以上に高校生で母になることを選んだ友人の強さや覚悟を思い知りました。 優しい気持ちでご覧いただけると幸いです。 |
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ドキュメンタリー コンテスト 2008年度 最優秀賞受賞 |
テーマ「日常」 「学校を辞めます-51歳の僕の選択」(16分30秒) 制作者:湯本 雅典さん 僕は51歳で東京都の公立小学校の教員を自主、中途退職した。それは、本意ではなかった。僕にとって、毎日学校に行くことはあたりまえの「日常」だった。しかし。それが急にできなくなる事態が襲ってきたのである。この作品は、退職するまでの一年半を記録したビデオである。 <制作者からお客様へメッセージ/2017年6月> 10年前この作品ができたとき、「今」を予想することは到底できませんでした。余裕がなかったから当然と言えます。でも10年たって当時を振り返ってみると、そこに「今」につながる伏線があったのだと感じます。その伏線が、恐ろしい話ですがこの映画の中に描かれていることを発見しました。それは、自由に言いたいことが言えなくなくなるということです。僕は、新聞に投書しただけで転勤を命じられました。「あなたは本校の方針にあいません」という理由で。同じことが今、政治の世界で起きています。 社会が、大きく変わりつつあります。10年前は、毎日がとにかく楽しかった。子どもと、職場の仲間と関ることがこの上なく楽しかった。それが消えてなくなることに大きな悲しみを感じながら、この作品を「必死に」作ったことを覚えています。しかし今考えてみると、僕が学校を辞めても辞めなくても10年前感じていた「楽しさ」というものは、もうあとかたもなくなってしまったのではと感じています。 今も僕は、映画を撮っています。僕から映画を取り上げたら何も残りません。映画作りは、僕を救ってくれました。10年前と比べてみると、少しは冷静にカメラに向かうことができるようになったと思います。しかし、当時のカメラにかけた「必死さ」は、忘れてはいけないとも思っています。 |
ドキュメンタリー コンテスト 2016年度 最優秀賞受賞 |
テーマ「ヒューマンって何だろう・・・」 「軍属だったひいおじいちゃん」(17分30秒) 制作者:松本 日菜子さん 松本日菜子は、都内の大学に通う20歳。祖母、飯田尚世の家には、軍属だった曽祖父・眞柳照乎に関する資料が多く残されている。しかし、戦争経験もなく彼に会ったこともない松本にとっては、写真の中だけの遠い存在だった。ところが、殉職船員追悼式があると聞き、そこへ訪ねたことを皮切りに彼の死を巡る旅がはじまった。松本は親戚や過去の資料を調べたりしながら、彼の姿や当時の状況を徐々に知ることとなる。70年の時を超え、そ曽孫が亡き曽祖父に憧れ、たどり、寄り添いながら、“戦争”“軍属”について考える。 <制作者からお客様へメッセージ/2017年6月> 「お父さん、来たよ。遅くなっちゃったけど」 祖母が殉職船員追悼式で呟いていた言葉です。私には久しぶりに曽祖父・眞柳照乎と向き合う祖母の姿が、7歳で父を亡くした少女にしか見えませんでした。あの時代に何があったんだろう、曽祖父はどんな人だったんだろう、そう思った瞬間でした。 初めて作った作品で、何もわからないまま曽祖父を知りたい一心でカメラを回していました。何が好きだったんだろう、どんな場所へよく行っていたんだろう、あの時何を思っていたんだろう。 撮影を終えて思ったことは、亡くなった理由は戦争でも彼が生きた人生は、好きな船に乗り、娘にお土産を買ってくる父親の姿のほうが多かったということです。もしかしたら自分の家族も思っていた姿と違う人生があるかもしれない。そんな気持ちで見ていただけたらと思います。 |