ヒューマンドキュメンタリー映画祭・阿倍野|第14回・2016年度映画上映

第14回(2016年)上映作品

ドキュメント・トーク《生きる》を伝える
今村 彩子 監督/堀田 哲生氏

榛葉 健司会者:映画「Start Line」全国初上陸!この阿倍野で上映していただきました、今村彩子監督です。(会場内拍手)今のお気持ち、聞かせてください。
今村 彩子 監督:いやあ、すごく恥ずかしいです(笑) やっぱり、私のダメなところとか、あまり人に見せないところとかすっごい出てるので、すごく恥ずかしいです。
榛葉 健司会者:よく、でも恥ずかしい気持ちでありながら自分のね、ちょっとみっともないところなども含めてよく出されましたね。
今村 彩子 監督:ありがとうございます。
榛葉 健司会者:今日も本当に多くの皆さんが見に来てくださいました。
今村 彩子 監督:日本を縦断する旅の出発前から、 フェイスブックで「旅をします」とアップして、それから毎日、旅の様子をアップするのに、たくさんの人からコメントもらったんですね。だから、みなさんの応援のおかげ、また堀田さんのおかげで。今日、映画完成して、大阪で初めての上映を迎えることができて、すごく嬉しいなって思っています。
榛葉 健司会者:はい、ありがとうございます。では、もうひと方、お呼びをしたいと思います。堀田さん!出てこられますか?
<堀田哲生氏、自転車に乗って登場>
(会場内拍手)
榛葉 健司会者:自転車に乗られてこられました。実はですね、単にそこからここまで、乗ってきたんじゃないんです。堀田さん、二日掛けて、名古屋から自転車で来てくださいました。(会場内拍手)
堀田 哲生氏:こんにちは、堀田です。哲さんです。
榛葉 健司会者:暑かったでしょう?
堀田 哲生氏:昨日の11時から午後までが、むちゃくちゃ暑かったですね。
榛葉 健司会者:ずっと自転車で?走ってきて?
堀田 哲生氏:そうですね。
堀田 哲生氏:走ってる最中は風が起こるんで、そんなにすごい暑くはないんですけど、信号とかで止まった時は、背中が熱くて熱くて。自分が発熱してるんで。それと太陽の照りでもう焼けてるようでしたね。
榛葉 健司会者:よう来てくださいました、ほんまに。どういうルートで来られたんですか?
堀田 哲生氏:映画の中では三重県のルート、通ってるんですけど、あの国道8号線とか23号線がものすごいトラックが多くて道も悪くて、自転車だと辛いんで。こういう自転車って、あのタイヤが物凄く空気パンパンに入ってて硬くて、振動を吸収してくれない。なんで道がガタガタだと、もうお尻が擦り剥けちゃう。今回はそれが嫌だったので、琵琶湖の方を通って、琵琶湖から京都通って大阪っていうことですね。


榛葉 健司会者:ありがとうございます。もう一度堀田さんに大きな拍手を。(会場内拍手)
ようほんまに来てくださいました。おかけになってください。
まあ、本来でしたら今村監督には真ん中に座っていただこうかと思っていたんですけれども、ちょうど今、こちらの方に手話の方がスタンバイしていただきまして、彼女が目線の上で、見やすい角度がとりたいということでしたので、ちょっと異例の形なんですけれども。一番あちらのお席に座っていただくようにさせていただいております。ご了解ください。
では早速、映画「スタートライン」観終わった直後ですけれども、いろんな舞台裏があるってことは聞いております。ねえ、これは堀田さんから聞いたほうがいいかな。まず最初に今村さんから、「こういう映画を作りたい。一緒に行ってくれないか。」っていう相談があった!?
堀田 哲生氏:ありました。
榛葉 健司会者:最初どう呼ばれてたんですか?
堀田 哲生氏:まあ最初は、そんなしっかりとした構想があったわけじゃなくて、「日本縦断して、映画を撮るから一緒に行ってくれ。」と言われたんですけど。その時は、まあこういう言い方をするとなんですけど、映画の中で、私、すごい叱ってるじゃないですか。
彼女がちゃんとした人間でなかったから、叱ってたんですけども。
そういう人間だと知らなかったんで、普通に普段、友達と一緒にツーリングする感覚で。でも、手話ちょっとやらないといけない。そこは大変だけれど。
しかも、日本縦断は私の自転車乗りとしてはやったみたいことだったんので。
最初は「まあ、いいかな」ぐらいの気持ちで考えてました。
榛葉 健司会者:無茶ぶりだなって思われませんでした?
堀田 哲生氏:えっと、それ気づいたのが旅立って二日目ぐらいです(笑)
ほんとに。最初、なんか私が結構楽天的に考えてて。仰るとおりなんです。
無茶ぶりなんですけど、そこをなんかぼんやりと気づかずにいっちゃってました。
榛葉 健司会者:その二日目になって、「どうやら様子が違うぞ」と。どの場面で?
堀田 哲生氏:まず、彼女が交通ルールを全く把握していない。
運転免許証を持っておられるんで、車の運転の仕方はわかっていると思ってるし、自転車も多少は勉強してるんじゃないかなくらい思ってたんですけども。
まあ、名古屋の人は黄色の信号に突っ込んじゃうんですけど。それを沖縄とかでやっちゃうと、まあ事故りそうになる。
実際、そのせいで私が車に轢かれそうになったりだとか、そういうのもあるし。あと、自転車以外のところでは、監督なのに全然カメラを回さない(笑)
榛葉 健司会者:えっ?もう一回言って(笑)
堀田 哲生氏:カメラを回さない!
榛葉 健司会者:撮影をしないんですか?
堀田 哲生氏:しないんです。一日目は割としてました。
榛葉 健司会者:その後は?
堀田 哲生氏:たぶん二日目からは、飽きちゃったんだと。
榛葉 健司会者:あれ?今村監督、あのう~、監督ですよね?(笑)
今村 彩子 監督:あ、はい。あの・・・。
榛葉 健司会者:撮影は?
今村 彩子 監督:自転車をはじめて、1年前の頃に沖縄から北海道までを旅するって、映画を撮るって決めたんですけど。もう初日から、すごく映画を撮るっていう余裕がなくって。また今、回さなくてもまだまだ先、慣れた頃に回せばいいかな。今はとにかく慣れるのに精一杯。カメラ回す気持ちもなかった。
でもでも(笑)、ドキュメンタリーなので慣れてない時から撮らなくちゃいけない。それは堀田さんから言われて。あ、そうだなと思った。(笑)
榛葉 健司会者:あれあれ(笑)なんかちょっと思っていたのと随分違ってきましたねぇ。そんなに、もう回さなかった?
堀田 哲生氏:回さなかったです。もうこれはドキュメンタリーは撮れねぇなって思いました。
榛葉 健司会者:今村さんは映画は出来ると思ってたんですか?それって。
今村 彩子 監督:映画を。
榛葉 健司会者:自分が回さなくても映画は何とかなるかなって思ってたの?


今村 彩子 監督:もうすでになんか余裕のない時もあって(笑)
カメラ回してる。とにかく今、旅をする!毎日毎日、一日の平均(移動距離)も70キロ超えたんですけど。もう自分の映画を撮る前に、自分の出来ない事、いっぱい出て来て。頑張ったんですけど。やっぱり、出来ない。また更に失敗して疲れる。どんどん、また余裕を失って、また疲れる。っていうのを繰り返して、もう自分の事がすごく嫌いになって、もう映画製作なんてって気持ちもあった。
榛葉 健司会者:もう「映画なんかもうやめていいや。」って思ったこともあったんですか。
今村 彩子 監督:やめてもいいと思わなくっても、とにかくすごく悩んで・・・。
榛葉 健司会者:今村さん、57日間の旅ですけども、途中でやめたいとか、もう旅いいかなとか、映画もいいかなとか、いろいろ心の揺れってありました?
今村 彩子 監督:あったんです。7月1日に沖縄から出発して、でもその時はまだ普通で。また台風もあってずっと雨でばっかり。雨の中をとにかく散々たくさん走ったんです。でも、それだけでも体が疲れてしまって。心も疲れてしまって。自分に何でこんなことやっているんだろうとか、いろんな思いがでてきた。
榛葉 健司会者:そういうことが出たときに、堀田さんはどういう対応をされましたか?今村さんに対して。
堀田 哲生氏:まあどういう対応っていうか、映画、やめるわけにはいかないし、走るのを止めるわけにもいかないし。とりあえず、私がカメラ撮って、監督が「嫌だ嫌だ」ってところも全部収めておかないと、どうにもならないんで。とにかく私は撮りました。
榛葉 健司会者:旅を続けるご責任とか、なんかそのへんのことはどうお考えになってました。
堀田 哲生氏:私もお店、休ませてもらって旅に行ってるし、応援してる方もみなさんいるし。例えば、沖縄から出会ってる人には「我々は日本縦断するよ」と言ってるわけですから、もうその言葉に責任がありますよね。
なので、監督が途中で辞めるとか言い出しても、私はとにかく行くしかないと。それしないと、みなさんを裏切ることになっちゃうので。
監督が「辞める」とか「一人で行く」って言い出しても、とにかく「一緒に最後まで行くよ」っていう事を、何度も説得して、ときには泣き言を散々いって、私に暴言吐いてとかするんですけど。
とにかく、私は行かないとね。じゃないと、例えばいろんなとこで会ってる人、今日もあそこに(客席)尾道で我々と一緒の宿に泊まった人が来てくれてるんですけど。あの人たちも、我々の事、応援してくれてるんだからそういう人を裏切っちゃいけない。まあ、監督は裏切りましたけど。ただ、ただ行きますって。
榛葉 健司会者:ああ、そうですか。かなり大変な。一人で旅してる方がよっぽど楽かも。
堀田 哲生氏:そうですね。だって監督が「もう、辞める!」って言い出していることは、私の邪魔をしてる形になるじゃないですか。
私が行こうと言って、辞めるって言う。むしろ1人、マイナス1人みたいな。
大変辛かったし。なんか自分以外が全員敵みたいな状況になっちゃったりとか。
榛葉 健司会者:それでも何とか二人の関係がギリギリのところで繋ぎとどまってたっていうのは何だったんでしょうね?
堀田 哲生氏:北海道までは単純に私の我慢(笑)
榛葉 健司会者:ですか?今村さん(笑)
今村 彩子 監督:そう思いますね(笑)
榛葉 健司会者:正直に。ほんと、ギリギリのところで繋ぎとどまっていたわけです。もう一つは赤裸々なね。例えば喧嘩のようなシーンとか、そうとう厳しい言葉をぶつけられるところとかも、きちんと映画の中で記録をされていますよね。


堀田 哲生氏:記録っていうかまあ、映画で使ってないシーンもそうとうあるんです。何で、ただほんとに、監督と一緒にいる間はずっと撮り続ける。さっき言ったように監督が撮らなかったんで、私がもう撮るしかない。
なんで、とにかくカメラ回し続けて。もう無意識にカメラを撮るようにしてましたね。
榛葉 健司会者:僕らどうしてもこういうドキュメンタリー、普段からしている立場からすると、カメラが回っている状況の中で、堀田さんが厳しい言葉を、今村監督に浴びせる。これはリアルなのか、それともカメラが回っていることを堀田さんはわかっている状態で、ちょっと芝居がかって大げさに言っているのか、いったいどうなってるのかなっていうのがちょっと気になったんですね。その辺り自分の中ではどう解釈されてるんでしょう。
堀田 哲生氏:もう途中からカメラなんてあって当たり前のものなんで、それを意識することは、まあ、ほぼないですね。あの沖縄の二日目ぐらいまではカメラがあると意識してたんですけど。まあその辺りからもう監督が、もうごねだすし、カメラ撮らなくなるし。そっちだけになっちゃって、もうカメラとか、完全に、回す時は回すんだけども回し始めたのも忘れてるし。暑さも相当だし、台風も相当だし、そんなカメラがここにあるって意識して演技するなんて余力はないです。
榛葉 健司会者:なるほど、ただただカメラを回してることだけ、スイッチだけを押して。あとはリアル。
堀田 哲生氏:そうですね。なんだったらスィッチを切ることを割りと忘れるんです。
榛葉 健司会者:だから、いろんなものが撮れている。
堀田 哲生氏:そうですね。
榛葉 健司会者:今村監督、その辺りは?
今村 彩子 監督:カメラを回す。どんな時でも。
お叱り受けてる時、全て回す。でも私が監督だから編集で使わない、そういうところは持ち込まないと思って。だから、そのまんま自分をすごく叱られたり、もう無視してしまったりだとか・・・。
堀田 哲生氏:私は私があまり映画にでるとは思ってなかったんで。ほんとに伴走者、カメラマンで、みなさんとの出会いの方を映画にすると最初は思ってて。あんなに私出るとは思ってないし、演技する必要ないし。
だって、けっこう映画出来た後、見せられたのは、すっごく怒ってましたね。
私が出てている比率がめちゃくちゃ多い。なんか、途中からウィルが出てきて、監督、主人公、ウィル、ヒロインじゃないけど、サブみたいになるじゃない。それまで私、すごいでてるじゃないですか。あれねえ、驚きました。しかも、なんか私お酒飲んで怒っての繰り返しじゃないですか。
なんかだいぶ、歪んだイメージがみなさんにいってると思うんですね。
その辺は、映画として多分面白くするための監督の作業だと思うんですけど。東京の試写会にウィルが来てくれて、ウィルも映画観終わった時に、「哲生、ああいう人間じゃないのに、なんであんなに怒ってる?」聞いてくるから。
それくらい、あの映画の中では怒っているけど、私はそんなに怒る人間じゃないので、割と誤解を与えます。
  榛葉 健司会者:今村さん、ちゃんとカバーしないと。堀田さんのこと。
今村 彩子 監督:あ、はい。ほんとに怒る人じゃなくて、その私が出来ない、危ない人なので、それを私のために叱ってくれた。
普通だったら自転車の旅で、初めての人の後ろに走っていくのはすごく大変なことなんですが、私がハンドルさばきも十分に出来ないので。いつ止まるのかわかんない。自分も、気を付けていかなくちゃない。
だから、初心者の方に合わせて走るのは二倍、三倍疲れる。
でも、旅の時ちょっと言われてて、あ、そうだなって思うんですけど、自分が出来ない事がいっぱいで、堀田さんの事、思いやる余裕もなく・・・。
また、段々、堀田さんから逃げてきて。それから、もうコミュニケーションを自分からやめてしまったりして、本当に辛い思いをさせてしまったなと思うんですけど。また、叱るってことも、本当は叱るよりも褒めるほうが楽なんです。でも、相手を叱るってのは、私の将来のこと、また映画の事を考えてやってくれてるんで。夜になると、ああ、だめだったなって、ちゃんと私のこと考えてくれてるな。よし!明日からも頑張って行こうっていう気持ちになるんですけど。また疲れると、もう冷静に聞けない自分が出てきてしまって、なんかすごくモヤモヤした気持ちになって走ってました。
堀田さんは普段は怒らない人です。お酒は飲むけど、煙草は吸わない人です。煙草はストレスが溜まっているので吸うようになっただけなんで。それも私のせいなんで。(笑)本当の堀田さんはもっと穏やかな人です。
榛葉 健司会者:今村さんね、これは本質的な話になるかもしれないけども。
耳が聞こえない状態で、自転車で長距離の旅をする。自転車で走るというのは相当ご自身の中では、ストレスに感じたり、危険を感じたりということはおありではなかったですか?
今村 彩子 監督:私は生まれつき耳が聞こえないので、聞こえない事が当り前になってて。自転車の旅で聞こえない、車の音が聞こえないとか、そのストレスはないっていうか、それが当り前。
だから、私はずっと走ってたんですが。でも私の後ろ走ってる堀田さんの方が。聞こえない人は聞こえないから、周りをよく見ないと、車にもぶつからないようにいけない。だけど、私はとにかく、今走るのに必死で余裕がない。だから堀田さんは、ちょっと私よりも怖かったと思う。だから夢をいっぱい・・・。夢。


堀田 哲生氏:けっこう本気で監督がちょくちょく死にそうになる。
車のことをちゃんと見ずに曲がったりとかするんで、監督がちょっと死にそうになるんだけど、監督はそれに気づかない。
あるいは、監督が無茶をするので、その後ろにいる車が私に当たりそうになるとか、私が死にそうになることがちょくちょくある。
そういうことを夜寝る時になると、すごい思い出しちゃうんで。夜眠れずに悪夢を見る日々が続いたりとかいう事がありました。例えば、皆さんスマホだとかパソコンで「自転車、スペース、プリウス」といれてもらうと勝手に予測検索「自転車、プリウス、嫌い」って。
というのは自転車乗り、私だとか、そこの石田さんだとかは知っているんですけど、プリウスって気づくと後ろにいて音しないんです。
すごい怖いんですね。プリウス側も怖いかもしれない、こっちも怖いし。
その状態が監督は常に持っておられるわけじゃないですか。
監督も危ないし、車も危ないし、その車に巻き込まれる私も危ない。
2日目くらいからずっと続いて。本当に毎日悪夢を見る日が続いて、その結果が体重マイナス12キロ!そこに繋がります。
榛葉 健司会者:聞けば聞くほど大変、お2人が、非常に難しい旅を、お2人の力で成し遂げてこられたんだなというのが、よくわかります。
旅の終盤でね、ミラクルが起きるかなっていうようなことがありましたよね。今村監督、ウィルとの出会い!よく出会いましたねえ。どういうきっかけで出会えたんでしょう?
今村 彩子 監督:きっかけは、札幌を出て、宗谷岬に向かって走ってる時、喉が乾いてたんで、自転車を止めて飲んでる時に、ちょうど後ろからウィルが追いついてきたらしくて。最初に私の後ろの堀田さんに声かけて、まあ話しかけたんです。それがきっかけです。
榛葉 健司会者:あの映画の中の描かれた通りだとは思うんですけども。
出会って、今村さん、何を思いました?ウィルの姿に。
今村 彩子 監督:ウィルに会って、ウィルも耳が聞こえないってわかったって。
6日間、ウイルと一緒に稚内まで一緒に走ったんですが。
でも、その時にウィルが北海道でたくさんの自転車乗りが集まって。
みんな、めちゃくちゃ走ってるんですけど。自然にみんなの中に入って、話してる様子を見て、コミュニケーションは難しいのは耳が聞こえないからだと私はずっと思っていたんですけど。そうではなくて、やっぱり性格の問題だったりだとか。そっちの方が大きいだなってわかったんです。聞こえる人達とのコミュニケーションが難しいのは私が聞こえないからだって。それは旅の前から思ってた。それを堀田さんが「いやそれは違う。あなたがコミュニケーションが下手なところだ。」っていうのを、旅の前も、旅の間もずっと言い続けてきたんです。
でもその時、私はまだわからなかった。なぜかと言うと、やっぱり彼は聞こえる。聞こえない経験したことない。でも言われたことは私は嬉しかった。
なぜかと言うと、耳が聞こえいからと言って、そうだねって言われたら、私は小さくなってたと思うんです。でもそうではなくて、コミュニケーションが下手だからだよって。その言葉は、もしわたしが頑張ってコミュニケーション上手くなるって努力したら、上手くなるかもしれない。そういう可能性があるっていうのはすごく嬉しかったんですけど。
頭の中ではまだピンとこなくって。でもその言った言葉は信じた。体で分かりたい。そう思って旅に出た。
北海道で、初めてウィルと会って、ウィルを見て、「あ、堀田さんが言ってたことは本当だったんだな。」って、すごくわかった。だから、ウィルと出会う前、私にとってすごく大きな出会い。奇跡的な出会いです。
榛葉 健司会者:稚内の最後の宿でね。積極的に、映画の最後のところで、コミュニケーションとられる姿がありました。
ご自身の中では変化があった?どうですか。


今村 彩子 監督:最後の北海道の宗谷岬も行ったときに、答えはなかった。
私は沖縄を出発した時、まだ旅の終わりには、きっと宗谷岬にたどり着く頃には、私はちゃんと答えを見つけて成長できてるだろうって思ってたんですけど、それは甘かった。自分が何も頑張ってなかったかなって。 思い切って、もうどうにでもなれみたいな、半分投げやりみたいな気持ちで、もうチェックインして,もう後は目の前にいる人に、もう必死な気持ちで、鉛筆とメモ持って話しかけた。
結構相手も話してくれたんですね。そんとき、あ、話してくれるんだって思って。あとは私の近くにいる人たちにも必死の気持ちで話しかけたんですね。そしたら周りの人も、私にわかるように、紙に書いて伝えてくれたんですね。
だから、その時に、自分でコミュニケーション出来ないのは聞こえないからだっていうのは思い込みだったんだなって思った。
榛葉 健司会者:堀田さんのね、その一言のアドバイス、耳が聞こえないからじゃなくって、コミュニケーションが下手だからっていうお話ありますよね。
これは、彼女を見ていて、すぐ気づいたことだったのか、どういうところがそう見えたのか。
堀田 哲生氏:やっぱり、彼女だけじゃないんですけど、例えば、聞こえない方だとか見えない方だとかって、それを理由に出来るじゃないですか。
理由にしちゃうと、今度はその理由にするのに慣れちゃって。慣れると何でもそれを理由にして、私が出来ないのはこれのせいだ、これのせいで出来ないんだって逃げちゃうと、それがもう癖になっちゃう。監督はそれが癖になって。
ある時に、全く旅とは関係ないんですけど、監督が朝市みたいな市場に行って、聞こえる人に話しかけられたけどわかんないから、無視してきちゃった。
それってホントは向こうの人も、相手が聞こえなかっても話をしたいって時に、そのチャンスを自分で潰しちゃう。
聞こえないからって理由で、ずっとそういうチャンスを潰すってことを続けてきてるってのがあって、それに気付いて、指摘して。
監督は次はその市場でも、相手に「私、聞こえません」って自分から言って、そうすると筆談とかできるじゃないですか。
最初にまず、自分が聞こえないからダメなんだっていうのを潰しちゃえとそしたらいくらでも話せるじゃないですか。
でも、多分彼女は最初に自分が聞こえないっていう理由、選択肢を築いてるじゃないですか。それでずっと来ちゃって、それって大分もったないなって思って。例えば、旅の途中で、映画であったと思うんですけど、カオリさん夫妻との話の中で、私が人間3分の1は寝てる時間だから。その睡眠、我々うるさいと寝れない。そのうるさいと寝れないことはないってことは得なことだっていうことを話していたら、その旅の終わりに彼女は、それ持ちネタにして、なんかウケとってましたね。人のネタ、勝手に使ってますよ(笑)そういう事も出来ずに、結構、もったいないことしてますよね。
榛葉 健司会者:そうやって57日間旅をしてきて、最後の宿とかでね、彼女の変化とかを、堀田さんが伴走されながら見ていて、スタートの時の彼女と今回の旅のゴールの稚内、宗谷岬の後の彼女というのと、変化があったと言えますか?
堀田 哲生氏:そうですね。稚内の旅の後の彼女は、変化はまだなかったんですけど。自分がスタートライン、スタートしてないって気づいたと思う。
それこそ、自分が変化もしてないし、実はスタートもしてないし。だけどスタートするスタートライン、どうやってスタートライン作ったらいいかが見えてきたっていうような感じ。多分、映画を作って上映してる今、彼女もスタートライン、見えて来たんじゃないですかね。
榛葉 健司会者:いい言葉ですね。今村さん。
今村 彩子 監督:ありがとうございます、あんまり褒められたことないんで凄く嬉しいです(笑)
榛葉 健司会者:今村監督が今回の「Start Line」という映画を、劇場公開より先に、この阿倍野の映画祭で上映したいと決めてくださいました。
劇場公開9月からなんですけど、阿倍野は一足早くやりたいとお決めいただいた理由があるんですよね。


今村 彩子 監督:2年前に初めてこの阿倍野映画祭に参加させてもらったんですが、その時はあの東日本大震災のドキュメンタリーでした。その上映が終わった次の日に、私の母が亡くなった年で。それからずっとなんか、まあ自分がどういう風に生きてきたか、わからないくらいになったですけど。一時期は生きる気持ちもなくなって、映画を撮りたいって気持ちもなくなった時があって、そういう時に、榛葉監督とメールで、自分の気持ちを伝えたんです。
榛葉 健司会者:その時のメール、やりとりを今村監督が紹介していいとおっしゃっていただきましたので、ちょっと準備をさせていただきました。
少し写さしていただきながらですね、その時の今村さんのメッセージ読ませていただこうと思います。2015年の1月3日に頂いたメールです。
「年が明けました。去年は阿倍野映画祭でお世話になりました。トークで自分の声でお話させていただいたことは、私にとってベストな判断だったと思っています。」
ちょっと注釈いれますと、2年前の映画祭の時に初めて人前で手話ではなくて、今のようにご自分の声でお話をされた、これ初めての経験だったそうです。
ちょうど、舞台裏で打合せをしていた時に彼女とは、肉声で話をしていて、彼女の話っていうのは私わかったものですから、手話をかえさずに、肉声でしゃべった方が絶対伝わるものがあると思いますよと勧めましたら「じゃあ、やってみます。」ていう事でチャレンジをされたのがこの話です。
そのきっかけを作っていただき、ありがとうございます。
またとてもお忙しいのに、『お元気ですか』と私にお言葉をかけて気にかけていただきありがとうございます。しかし、なんと答えればいいのかわからず、ずっと今日まできました。阿倍野映画祭の翌日に母が、そしてその三か月後に同居していた祖父がこの世から旅立ちました。私を生んで育てて支えてくれた母が、ある日突然いなくなるということは、未知の経験でとてもとても大きなことで、どう感じればいいのか、どう受け止めればいいのかわからず、ただ母が今までしてくれた家事や目の前にある仕事をこなしていくので、精一杯でした。
また、祖父のお世話で頭がいっぱいでした。
母のことを考えたり思ったりすると、胸が苦しくなって、無意識にそういうふうにしてきたのかもしれません。
11月に祖父が天寿を全うしたら、母を亡くした悲しみが押し寄せてきました。
また自分が15年間、ドキュメンタリーを撮って、伝えてきた確固たるものが揺らぎ、生きて行く意味がわからなくなり、死にたいと思う状況でした。
私は15年間、「共に生きる社会」を、というメッセージを伝えるために、聞こえない人を取り上げて、ドキュメンタリーを撮ってきました。
しかし、それは「聞こえない人のことを知ってください、理解してください」と一方的でした。聞こえる友人と話していて、私は今まで聞こえる人達の事を知ろうとしなかった。考えようともしなかったと気付いたときは愕然としました。「共に生きる」ことはどういうことなんだろう。」
今村 彩子 監督:今までは「共に生きる社会」をと思って、ドキュメンタリーを撮ってきたんですけど、さっき、堀田さんが話していたように、その朝市、朝市の話で私は話したんですけど、言ってることがわからなくて、そのまんま曖昧にやりすごしてしまったんですよ。そのことは堀田さんも話したんです。最初に言われたのは「あなたは相手の気持ちを考えてない」っていう返事をもらったんです。最初に私はわからなかったんです。相手の事を考えてないってどういうことってわからなかった。その後、やり取りをしていく中で、相手はもしかしたら私と話たがってるかもしれない。
それを私がわからないからって、うやむやにしてしまって、仲良くなれるチャンスだったかもしれないけど、それをあなたから無視してたんだよって言われた時に、ああ私は今まで「共に生きる社会」を伝えてきた私なのに相手の気持ち、聞こえる人の気持ち、全く考えてなくて、聞こえない人たちのことを知ってくださいって立場だったんだなってすごく感じたんですね。
だから「共に生きる」って、出来てなかった。今でも出来ているのかちょっとわからないんですけど。すごく自分が言える立場にないなって思った。


榛葉 健司会者:そして、2年前の映画祭の翌日にお母さんが亡くなられたこと、それから3ヶ月後にご同居されてたおじいちゃんが亡くなられた。
私の送ってくださったメッセージに死にたいと、思う状況でしたと非常に重いメッセージを送ってくださいました。その時のお気持ちをもう少しお聞かせいただいてもいいですか?
今村 彩子 監督:2年前の阿倍野映画祭は終った次の日に母が亡くなって、三ヶ月後に祖父が亡くなって、必死でとにかく家事とか慣れてないことを毎日やっていく中で、母の悲しみが紛れてたと思うんですけど、そういうことがなくなったあと、ちょっと慣れてきた頃に気持ちがすごく落ち込んだんです。その時に榛葉監督さんから「お元気ですか?」ってメールをもらったんです。私は、あっ気にかけてくださってるって、すごく嬉しかったですけど。
その時の自分の気持ちをどう伝えたらいいのかわからないうちに。でも気にかけてくださってるからちゃんと、映画祭が終わってから、今までのことを知ってもらいたいなと思ってメールを送ったんです。
榛葉 健司会者:その時は私の方から返事をさせていただいたメールがありますので、ちょっと続きを読みます。
「今は失意の気持ちのほうが大きいかもしれませんが、忘れるのではなく、薄れるものでもなく、あなたの中にいつか必ず受け入れる力が生まれます。
そして私達ドキュメンタリストは、他人の人生を描いているよういて、実はいつも自分たちの生き様を表現しています。つまり、今村さんが表現者であり続ける限り辛い経験もまた、これから先の自分の表現に深みや光をもたらすものになる可能性があるのです。だから生きなくてはいけません。
私たちは生きて今抱える苦しみを表現することで外を満たし、自分自身や同じような困難を抱える人達を解放していくのです。
今村さん、ご自分がドキュメンタリストであることを感じながら、これからも作り続けてください。
共に生きる、とても大切な視点ですね。耳が聞こえない人を主体にするのではなく、自分を主体として報道したい、といった今村さんの言葉、それでいいんです。あなたがあなたの命を生きて、表現し続けてください。」
今村さんから、次に返事がとどきました。
「耳が聞こえない人を主体にするのでなく、自分を主体として報道したい。それでいいんです。あなたはあなたの命を生きて表現し続けて下さい、という言葉に涙が溢れてきました。絶望もやがて愛おしくなる時がくる。 私は愛おしくという感覚は正直まだわからないのですが、かつて経験したことのない辛い状況でも、人の中には生きていくんだというエネルギーがあるのだということを最近、感じています。去年の冬、父の友人にいわれた言葉を最近、胸で反芻しています。親が亡くなっても、親から教わることはある。」
今村さんの心の中で大きな心の変化はあって、このメールを頂いて数ヵ月後に、「新しい映画のテーマが見つかりました。」というメッセージを頂きました。
「沖縄から北海道まで自転車で旅をします。コミュニケーションをテーマにした映画をセルフドキュメントとして撮っていこうと思います。」というメッセージでした。
私からお礼を言いたい・・・生きていてくれて本当にありがとう。
それからドキュメンタリストといてくださって本当にありがとう。
という気持ちをお伝えしたいと思います。
今村 彩子 監督:榛葉監督さんから、あなたはあなたの命を生きてくださいっていう言葉がすごく胸に響いて。それもあって、もう自分の命を生きていこうって。
まずは、自分の旅。自分が理解できる、いつも逃げてきたコミュニケーションと向き合うために、旅に出ようと思って、「Start Line」を作ろうと思った。だから、2年前の阿倍野映画祭からつながっていて。
日本で初めてその映画を公開する!一番ふさわしい場所が、この阿倍野映画祭だと思ったんですね。だから、この作品を選んでくださってすごく感謝しています。ありがとうございます。
榛葉 健司会者:ありがとうございます。本当に来ていただけたことを、この映画をこの世に産み落としてくれたこと、そして堀田さんという最強のパートナーを見つけられて、めちゃくちゃ叱られながらも、2人のチームワークでこの映画を作られた事を、本当に奇跡のようなものだって思います。みなさんも感じていただけたんじゃないでしょうか?
彼女がいろんな困難とかを抱えながらも、それでも一人のドキュメンタリストとして、これからも歩み続けていく、そのスタートライン。
リスタートかもしれませんが、そのスタートラインに今日立たれたんだなっていうこと、感じていただけたと思います。最後、堀田さんから一言。ぜひ彼女にエールを!
堀田 哲生氏:ほんとにね、旅のパートナーとしては、すごい駄目駄目だったんですけど、映画はちゃんと出来てるし、あと案内人がめちゃくちゃ面白い。なんだったらホームページ探してもらって見てもらうといいんですけど。旅、終わって映画を作るところから、まずあるスタートがあって、映画作り終わって、いまみなさんが作品を観て、これでまた違うスタートがあって、何回かリスタートをする場面があるんですけど。それぞれのとこでやっぱスタートがあるわけだから、それぞれのところでゴールしてください。頑張ってください。
今村 彩子 監督:ありがとうございます。がんばります。
榛葉 健司会者:じゃあ、最後、今村監督。
今村 彩子 監督:「Start Line」このタイトルは、この映画が出来てからつけたのでなくて、あの旅に出る前にもう決めたんですね。
それはなぜかって言うと、母が亡くなって、祖父も亡くなって、私も生きる気持ちも、映画を撮りたい気持ちもなくなったけど。でも、もう一回前を見て生きていこう、ドキュメンタリーを撮ろうって思った。 だから、そこが私のスタートラインと思ったんです。だからその意味で「Start Line」っていうタイトルをつけたんですけど。だから、また沖縄がスタートラインで、そこから宗谷岬、ゴールに向かって旅をするって意味もありました。でも今、実際に旅が終わって、一年経って思うことは、この映画は私がスタートラインに立つまでの映画になるかなって思いました。
榛葉 健司会者:ありがとうございました。

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